【鎌倉時代のフィクサー】東福寺の建立者・九条道家が築いた「権力と信仰」の歴史#1124
京都を代表する紅葉の名所・東福寺。その巨大な伽藍を築いたのは、鎌倉時代に絶大な権力を誇った公卿、九条道家でした。摂関家のトップでありながら、息子の頼経を鎌倉幕府の将軍へと送り込み、朝廷と幕府の両輪を操った「時代のフィクサー」。
問1:九条道家が、奈良の二大寺院(東大寺・興福寺)から一字ずつ取って命名・建立した、京都最大級の伽藍を持つ禅寺は何ですか?
問2:九条道家の三男であり、源氏の血筋が途絶えた後に鎌倉幕府の「第4代将軍」となった人物は誰ですか?
問3:九条道家が東福寺を開創する際、宋での修行から帰国したばかりの彼を招いて初代住職(開山)としました。この高僧(聖一国師)の名は何ですか?
問4:九条道家は、公家社会の頂点である「五摂家」の一つである何家の出身ですか?
問5:九条道家が活躍したのは、日本の歴史区分における何時代ですか?
☆回答は記事の最後にあります。
彼が東福寺に込めた願いと、波乱に満ちたその生涯を紐解きます。
はじめに:東福寺の巨大な伽藍を築いた男
京都の紅葉の名所として知られる東福寺。その圧倒的な規模を誇る伽藍を建立したのが、鎌倉時代の公卿、**九条道家(くじょう みちいえ)**です。彼は単なる貴族ではなく、朝廷と幕府の間に立ち、時代を動かした「時の権力者」でした。
九条道家の出自と華麗なる一族
九条道家は建久4年(1193年)に生まれ、建長4年(1252年)に没しました。五摂家の一つである九条家の嫡男として生まれ、若くして摂政・関白を歴任。まさに公家社会のトップを走り抜けた人物です。
特筆すべきは、彼の家族が持った「力」です。
- 父: 九条良経
- 子: 九条教実、二条良実、一条実経(それぞれ九条・二条・一条家の祖となる)
- 三男:藤原(九条)頼経
鎌倉幕府との深いつながり:四代将軍の父として
九条道家の名が歴史に深く刻まれている理由の一つに、鎌倉幕府との密接な関係があります。源氏の血筋が途絶えた後、道家の三男である**頼経(よりつね)**が、わずか2歳で鎌倉に下り、鎌倉幕府の第4代将軍となりました。
これにより、道家は「将軍の父」として、京都の朝廷だけでなく鎌倉の幕府に対しても絶大な影響力を持つことになります。
信仰の結晶、東福寺の建立
政治の表舞台で活躍する一方、道家が情熱を注いだのが東福寺の建立です。 奈良の「東大寺」の大きさと、「興福寺」の盛大さを兼ね備えた寺院を作りたいという願いから、両者の名を取って「東福寺」と名付けられました。
当時、宋から帰国した高僧・聖一国師(円爾)を迎え、九条家の菩提寺として、また京都最大の禅寺としてその礎を築きました。
時代に翻弄された晩年
順風満帆に見えた道家ですが、晩年は承久の乱後の複雑な政治情勢や、幕府との関係悪化に悩まされることになります。一時は栄華を極めたものの、最終的には政治的な失脚を経験するなど、その生涯は非常に波乱に満ちたものでした。
まとめ:京都・東福寺を訪れる際に
今、私たちが東福寺の三門や美しい庭園を眺めることができるのは、九条道家という人物の強大な権力と深い信仰心があったからこそです。
次に東福寺を訪れる際は、この巨大な寺院を構想した「九条道家」という一人の公卿の野望と歴史に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
九条道家を知るためのキーワード
- 鎌倉時代:1193年〜1252年
- 藤原頼経:実子であり、鎌倉幕府第4代将軍
- 東福寺:九条家の菩提寺として建立
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答1:東福寺(とうふくじ) 答2:藤原頼経(ふじわらのよりつね / 九条頼経) 答3:円爾(えんに / 聖一国師) 答4:九条家(くじょうけ) 答5:鎌倉時代