江戸初期、都を沸かせた伝説の女性「吉野太夫」#1122
江戸時代初期、その美貌と類まれなる才能で天下に名を馳せた伝説の女性、二代目・吉野太夫。関白や豪商をも虜にした彼女は、なぜ京都・鷹峯の地に眠っているのでしょうか。吉野太夫が寄進した「赤門」が残る常照寺の歴史や、今も春に開催される花供養など、一人の女性の情熱と信仰にスポットを当ててご紹介します。
- 江戸時代初期、京都の六条三筋町において、わずか14歳という若さで最高位の「太夫」を名乗った女性は誰ですか?
- 吉野太夫が深く帰依し、彼女のお墓のすぐ前に葬られている、日蓮宗中興三師の一人と称される人物は誰ですか?
- 吉野太夫が寄進した、常照寺の入り口にある鮮やかな朱塗りの門は、通称何と呼ばれていますか?
- 吉野太夫を身請けし、彼女と添い遂げたことで知られる、江戸時代の京都の豪商・文化人は誰ですか?
- 毎年4月の第3日曜日に常照寺で行われる、吉野太夫を偲ぶ供養行事の名前を何といいますか?
☆回答は記事の最後にあります。
京都の歴史を彩る女性は数多くいますが、江戸時代初期に「天下随一」と謳われたのが、二代目吉野太夫です。
彼女は単なる美しい芸妓ではありませんでした。わずか14歳で最高位の「太夫」を襲名し、その美貌はもちろん、和歌、茶の湯、香道、さらには書道や囲碁まで、あらゆる教養を完璧に身につけていたといいます。
当時の文化人や貴族たちが、こぞって彼女に会いたがったというのも頷けますね。
関白や豪商をも虜にした、圧倒的な「才色兼備」
吉野太夫の周りには、常に時代の中心人物たちがいました。 後陽成天皇の皇子であり関白も務めた**近衛信尋(このえのぶひろ)**や、稀代の風流人として知られる豪商・**灰屋紹益(はいやじょうえき)**など、京都の上層階級がこぞって彼女をひいきにしました。
最終的には灰屋紹益と結ばれ、身請けされる形でその生涯を共にすることになります。この二人の恋物語は、今も語り継がれる京都のロマンスのひとつです。
鷹峯にたたずむ「吉野の赤門」と信仰の心
吉野太夫の足跡を辿るなら、北区・鷹峯にある**常照寺(じょうしょうじ)**は欠かせません。
彼女は日蓮宗の中興三師の一人、日乾(にちけん)上人に深く帰依していました。その信仰心の厚さは、常照寺の入り口に建つ朱塗りの山門を自ら寄進したほど。この門は今も**「吉野の赤門」**と呼ばれ、訪れる人々を鮮やかに迎えてくれます。
緑豊かな鷹峯の風景の中で、この赤門だけが放つ凛とした美しさは、吉野太夫自身の生き様を映しているかのようです。
今も受け継がれる「花供養」と安らかな眠り
常照寺の境内、日乾上人の墓の後ろには、吉野太夫が静かに眠るお墓があります。自分が心から尊敬した師のそばで、彼女は今も都を見守っているのかもしれません。
毎年4月の第3日曜日には、彼女を偲ぶ**「吉野太夫花供養」**が行われます。 島原の太夫が禿(かむろ)を連れて練り歩く「太夫道中」が再現され、華やかな京文化の香りを今に伝えています。
メモ:京都検定に向けて 吉野太夫については、「常照寺」「日乾上人」「灰屋紹益」といったキーワードがセットで出題されることが多いです。歴史背景と一緒に、彼女が愛した「鷹峯」のロケーションをイメージしておくと、より記憶に定着しやすくなりますよ。
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