優美なる平安の美。仏師「定朝」が創り上げた理想郷と、日本独自の美意識#1113
平安時代、日本独自の美意識を仏像に吹き込んだ天才仏師・定朝。それまでの大陸的な力強さとは異なる、優美で穏やかな「定朝様」はどのようにして生まれたのでしょうか。
- 定朝の現存する唯一の確証ある遺作で、宇治の平等院鳳凰堂に安置されている仏像の名称は何ですか?
- 仏像の高さの基準で、一丈六尺(約4.8メートル、坐像の場合はその半分)の大きさを指す言葉は何ですか?
- 定朝が師匠の康尚とともに、藤原道長のために仏像を制作した、現在は廃絶している寺院の名前は何ですか?
- 定朝が仏師として初めて叙せられた僧綱(僧侶の階級)の位を何といいますか?
- 定朝が京都における活動拠点とし、後の仏師の系譜(院派・円派など)の源流となった場所は何ですか?
☆回答は記事の最後にあります。
藤原道長との関わりや、現存する唯一の傑作・平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像の魅力を紐解きながら、今も私たちの心を惹きつけてやまない平安の美の原点を探ります。
日本人の心に響く「和様の美」の完成者、定朝とは?
平安時代中期に活躍した仏師、定朝(じょうちょう)。 彼は、それまでの中国風の力強い造形から脱却し、日本人の感性に寄り添う「優美で穏やか」な仏像のスタイルを完成させた人物です。その美しさは「定朝様(じょうちょうよう)」と呼ばれ、後の時代の仏像制作に決定的な影響を与えました。
父・康尚から受け継いだ情熱と「法成寺」での活躍
定朝は、同じく仏師であった**康尚(こうじょう)**の子(あるいは弟子)として生まれました。 彼のキャリアの大きな転換点となったのは、時の権力者・藤原道長による「法成寺(ほうじょうじ)」の造営です。師匠とともに金堂や五大堂の仏像制作に打ち込み、その圧倒的な技量が認められることとなりました。
仏師として初めての栄誉「法橋」と「法眼」
その功績が認められ、定朝は仏師として初めて**法橋(ほっきょう)という僧綱(そうごう/僧侶の階級)に叙せられました。 その後も、奈良・興福寺の復興や仏像制作に尽力し、さらに上の位である法眼(ほうげん)**にまで昇り詰めました。職人であった仏師の社会的地位を大きく引き上げた、まさにパイオニアと言える存在です。
最高傑作、平等院鳳凰堂の「阿弥陀如来坐像」
定朝の現存する唯一の確証ある作品が、宇治の平等院鳳凰堂に安置されている阿弥陀如来坐像です。 像の高さは約2.8メートル、いわゆる**丈六(じょうろく)**サイズの堂々たるお姿。 「寄木造(よせぎづくり)」という技法を完成させたことで、軽やかで均整の取れたプロポーションと、見る者を包み込むような慈悲深い表情を実現しました。まさに「極楽浄土」を具現化したような美しさです。
受け継がれる「七条仏所」の系譜と弟子たち
定朝は京都に七条仏所を構え、ここが後の日本仏像界の主流を占める拠点となりました。 彼の死後も、その技術と精神は子である**覚助(かくじょ)や、優秀な弟子であった長勢(ちょうせい)**らへと引き継がれ、院派・円派・奈良仏師といった大きな流れへと繋がっていきます。
京都検定ワンポイント備忘録
- 定朝 = 平等院鳳凰堂・阿弥陀如来像(寄木造の完成)
- 法成寺 = 藤原道長の建立、定朝が仏像を制作
- 法橋・法眼 = 仏師として初めて授かった階級
- 七条仏所 = 定朝が拠点とした、後の仏像制作の中心地
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- 阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
- 丈六(じょうろく)
- 法成寺(ほうじょうじ)
- 法橋(ほっきょう)
- 七条仏所(しちじょうぶっしょ)