五・七・五で巡る古都の面影。京都にゆかりの深い「蕉門」の俳人たち#1111
京都の町を歩くと、ふと出会う「句碑」の数々。江戸時代、俳聖・松尾芭蕉を慕った弟子たちは、古都の風景に何を見出し、どんな想いを五・七・五に託したのでしょうか。今回は、嵯峨の落柿舎を営んだ向井去来や、東山をユニークに詠んだ服部嵐雪など、京都に深いゆかりを持つ「蕉門」の俳人4人をご紹介します。
- 嵯峨に別荘「落柿舎」を構え、松尾芭蕉を何度も招いた長崎出身の俳人は誰でしょう?
- 「布団着て 寝たる姿や 東山」という、東山の山容をユニークに詠んだ江戸出身の俳人は誰でしょう?
- 近江彦根藩士でありながら芭蕉の門下に入り、「清水の上から出たり 春の月」と詠んだ人物は誰でしょう?
- 松尾芭蕉の優れた弟子10人を指す、各務支考や向井去来らが含まれるグループの総称を何というでしょう?
- 向井去来が、自身の発句(俳句)をまとめた著書のタイトルは何でしょう?
☆回答は記事の最後にあります。
名句とともに巡る、風流な京都散歩へ出かけてみませんか。
はじめに:京の風景を慈しんだ俳人たち
京都の町を歩くと、ふとした場所に句碑が立っているのを見かけます。江戸時代、俳聖・松尾芭蕉を慕った弟子たちは、この京の地でどのような景色を見つめていたのでしょうか。
今回は、京都に深いゆかりを持つ4人の俳人をご紹介します。彼らの足跡を辿ると、いつもの京都が少し違って見えるかもしれません。
1. 嵯峨野の静寂を愛した「向井去来(むかいきょらい)」
京都の俳人といえば、まず名前が挙がるのが向井去来です。長崎で生まれ、後に父と共に京都の聖護院へと移り住みました。
彼は嵯峨の地に別荘である**「落柿舎(らくししゃ)」**を構えたことで知られています。師である芭蕉を何度かこの庵に招き、芭蕉もまたここでの滞在を楽しみました。
- 代表句: 「柿ぬしや 梢はちかき あらし山」
- 主な著書: 『去来発句集』
現在も嵯峨野に残る落柿舎は、当時の風流な暮らしを今に伝えています。
2. 東山の山容をユーモラスに写した「服部嵐雪(はっとりらんせつ)」
江戸出身の嵐雪は、武家奉公人を経て芭蕉の門を叩きました。江戸の蕉門(芭蕉の弟子グループ)では、其角(きかく)と並んで「双璧」と称されるほどの実力者です。
彼が京都の東山を詠んだ句は、その独特の視点が非常にユニークです。
- 代表句: 「布団着て 寝たる姿や 東山」
- 主な著書: 『玄峰集(げんぽうしゅう)』
なだらかな東山の連なりを、布団を被って寝ている人の姿に見立てたこの句。京都の街を歩きながら東山を眺める際、ふと思い出したくなるような親しみやすさがあります。

3. 清水寺に浮かぶ月を愛でた「森川許六(もりかわきょりく)」
近江彦根藩士という武士の身分を持ちながら、芭蕉の門下に入ったのが森川許六です。絵画の才能にも長けていた彼は、視覚的な美しさを捉えるのが得意でした。
そんな彼が京都の名刹・清水寺で詠んだ一句は、春の夜の清らかな空気感を見事に写し出しています。
- 代表句: 「清水の 上から出たり 春の月」
- 作風: 正風彦根躰(せいふうひこねてい)
清水の舞台から眺める夜空に、ぽっかりと浮かぶ春の月。時代を超えて、私たちも同じ月を見ているのだと感じさせてくれます。
4. 芭蕉を支えた才人「各務支考(かがみしこう)」
美濃(現在の岐阜県)出身の支考もまた、芭蕉の優れた弟子10人を指す**「蕉門十哲(しょうもんじってつ)」**の一人に数えられる重要人物です。
彼は師である芭蕉の教えを広めることに尽力し、俳句の普及に大きな役割を果たしました。京都の俳壇とも深く関わりながら、各地を巡り歩いたその生涯は、まさに旅と共にあった芭蕉の精神を受け継ぐものでした。
おわりに:句碑を訪ねる京都旅
今回ご紹介した俳人たちは、みな松尾芭蕉を慕い、その精神を京都の地で表現しました。
次に京都を訪れる際は、彼らが愛した嵯峨野や東山の景色を眺めながら、当時の情景に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。五・七・五の世界を知ると、京都の深みがより一層増していくはずです。

あわせて読みたい記事
おすすめの書籍

今回のブログ記事前後の関連記事
- 向井去来(むかいきょらい)
- 服部嵐雪(はっとりらんせつ)
- 森川許六(もりかわきょりく)
- 蕉門十哲(しょうもんじってつ)
- 去来発句集(きょらいほっくしゅう)


