【京焼の祖】野々村仁清:仁和寺の門前で花開いた「色絵陶器」の美の世界#1108
江戸時代初期、京都の陶芸界に革命を起こした天才陶工・野々村仁清。仁和寺の門前で華麗な「色絵陶器」を完成させ、日本の器に究極の雅(みやび)をもたらしました。
- 野々村仁清の出身地はどこで、陶工としての通称(本名)は何と呼ばれていましたか?
- 正保年間に仁和寺の門前に窯を築いたことで始まった、仁清の焼物のスタイルを何と呼びますか?(2つ挙げてください)
- 仁清を指導し、その作風を雅な「色絵陶器」へと導いた、当時を代表する茶人は誰ですか?
- 陶号である「仁清」という名前は、どのような由来で付けられたといわれていますか?
- 仁清の代表作として知られ、現在「国宝」に指定されている2つの作品(香炉と茶壺)の名称を答えてください。
☆回答は記事の最後にあります。
二つの国宝を遺した彼の足跡と、茶人・金森宗和との絆が生んだ美しい作品の魅力に迫ります。
はじめに
京都を代表する伝統工芸、「京焼・清水焼」。その歴史の中で、ひときわ眩い光を放っているのが、江戸時代初期に活躍した陶工・**野々村仁清(ののむら にんせい)**です。 今回は、華麗な色絵陶器を完成させ、日本の器に「雅(みやび)」をもたらした仁清の生涯とその魅力をご紹介します。
## 丹波から京へ:若き日の清右衛門の修行
野々村仁清は、丹波国北桑田郡の野々村(現在の南丹市美山町)に生まれました。本名を野々村清右衛門といいます。
彼は、若いうちに京の粟田口や、美濃の瀬戸で陶芸の基礎を徹底的に学びました。各地で技術を吸収したのちに京都へと戻り、自身の創作活動を本格化させていきます。
## 仁和寺の門前に築いた「御室焼」の拠点
正保年間(1644~48年)、仁清は洛西の門跡寺院である仁和寺の門前に窯を築きました。これが、後に「御室焼(おむろやき)」や「仁和寺焼き」と呼ばれるスタイルの始まりです。
仁和寺との縁は深く、彼の「仁清」という名は、**「仁和寺」の「仁」と、本名の「清右衛門」の「清」**を合わせて贈られたものだと言われています。
## 茶人・金森宗和との出会いと、色絵の完成
仁清の作風に大きな影響を与えたのが、茶道「宗和流」の祖として知られる**金森宗和(かなもり そうわ)**です。
宗和の「姫宗和」とも呼ばれる優美な美的センスに導かれ、仁清はそれまでの陶器にはなかった、金銀を多用した華麗な色絵陶器の技術を完成させました。
- 洗練された成形技術(ろくろの冴え)
- 絵画のような優美な色彩
- 空間を彩る装飾性
これらが融合した仁清の作品は、宮廷や公家、寺院の間で瞬く間に評判となりました。
## 晩年の名と、現在に語り継がれる二つの国宝
晩年、仁清は**播磨入道仁清(はりまにゅうどうにんせい)**と名乗りました。彼が遺した作品の多くは、重要文化財や国宝として今も大切に守られています。
なかでも、以下の二つは仁清の代名詞とも言える国宝です。
- 色絵雉香炉(いろえきじこうろ)
- 雉(きじ)を写実的かつ華やかに表現した、仁清の造形力が光る傑作。
- 色絵藤花文茶壺(いろえとうかもんちゃつぼ)
- 白地の中にしだれ藤が描かれた、まさに「雅」を形にしたような美しすぎる茶壺。
おわりに
それまでの「土の味わい」を楽しむ陶器の世界に、京都らしい「華やかさと気品」を持ち込んだ野々村仁清。 京都の美術館や寺院で彼のサインである「仁清」の印を見つけたときは、ぜひその繊細で美しい金銀の彩りに注目してみてください。
(ブログの最後に一言) 「京都検定の勉強をしていると、仁和寺に行くのがもっと楽しみになりますね。次は、彼の作品を実際に目にできるスポットについてもまとめてみたいと思います!」
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- 出身地:丹波国北桑田郡野々村、通称:清右衛門(せいえもん)
- 御室焼(おむろやき)、仁和寺焼き
- 金森宗和(かなもり そうわ)
- 窯を築いた**「仁和寺」の「仁」と、本名の「清右衛門」の「清」**を組み合わせたもの
- 『色絵雉香炉(いろえきじこうろ)』、『色絵藤花文茶壺(いろえとうかもんちゃつぼ)』