📚 【京都ゆかりの偉人たち】真言宗の僧侶が果たした壮大な歴史と功績#1101
京都の壮大な歴史と文化は、多くの偉人たちによって築かれてきました。中でも真言宗の僧侶たちは、寺院の復興から政権中枢との関わりに至るまで、歴史の重要な局面で活躍しています。京都の寺院と深く関わり、その名を歴史に刻んだ真言宗ゆかりの僧侶たちの功績を、一挙にご紹介します。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 豊臣秀吉による「醍醐の花見」の企画・実行に関わり、醍醐寺の復興に尽力した真言宗の僧は誰ですか。
- もとは遠藤盛遠という武士で、後に源頼朝に平家打倒を決意させ、神護寺と東寺の再興を果たした僧は誰ですか。
- 秀吉の焼き討ちで荒廃した根来寺の再興を願い、後に徳川家康の援助を受けて京都に智積院を再興した僧は誰ですか。
- 宋へ渡って帰国後、寺院を改め皇室の菩提寺となる泉涌寺の開基となり、国宝「泉涌寺勧縁疏」を起草した僧は誰ですか。(ふりがなで)
- 醍醐寺の座主を務め、東寺の長者や東大寺の別当も兼任した僧で、醍醐寺の三宝院を創建した人物は誰ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の歴史を彩る寺院や文化は、多くの僧侶たちの力によって育まれてきました。中でも真言宗の僧侶たちは、時に荒廃した寺の復興に尽力し、時に歴史の大きな転換点に関わるなど、重要な役割を果たしています。
今回は、京都の寺院と深く関わり、その名を歴史に刻んだ真言宗ゆかりの僧侶たちをご紹介します。
目次
⚜️ 寺院の復興に尽力した僧侶
荒廃や戦火に見舞われた寺院を再建し、現代にその姿を伝えるために尽力した僧侶たちです。
義演(ぎえん)
- 真言宗の僧。
- 特に醍醐寺の復興に尽力しました。
- 豊臣秀吉の「醍醐の花見」の企画・実行にも関わり、醍醐寺再興の大きなきっかけを作った人物としても知られます。
玄宥(げんゆう)
- 智積院(ちしゃくいん) の僧。もとは紀州の根来山にいました。
- 豊臣秀吉の焼き討ちで荒廃した根来寺(ねごろじ)の再興を強く願いました。
- 後に徳川家康の援助を受けて京都に寺を再興し、これを智積院としました。智積院は真言宗智山派の総本山となっています。

文覚(もんがく)
- 波乱に満ちた生涯を送った僧侶で、もとは遠藤盛遠(えんどう もりとお) という武士でした。
- 同僚の妻、袈裟御前(けさごぜん)に恋をしましたが、誤って彼女を殺害してしまい、その贖罪のために出家して文覚と名乗りました。
- 出家後、高尾の神護寺(じんごじ)の再興事業に発心します。
- 当初は後白河上皇の怒りに触れて伊豆に流罪となりましたが、同じく流人であった源頼朝に会い、平家打倒を決意させたことで歴史に名を残します。
- 頼朝の平家打倒成功と、上皇の信頼回復により、上皇と頼朝の保護を得て神護寺を再興しました。
- また、尊敬する空海が住持した東寺(教王護国寺)の荒廃を嘆き、後白河上皇に訴えて再興事業を進めました。上皇の知行国であった播磨国を財源として東寺の再興を果たしました。
📜 宗派の発展と新たな寺院を築いた僧侶
宗派内での地位を確立したり、新たな寺院を創建したりした僧侶たちです。
俊芿(しゅんじょう)
- 宋(中国)へ渡り、律宗などを学んで帰国した僧。
- 寺院を泉涌寺(せんにゅうじ) と改め、多くの寺院を束ねる律宗の中心寺院としました。
- 泉涌寺は後に皇室の菩提寺となり、「御寺(みてら)」として知られます。
- 泉涌寺勧縁疏(かんえんそ) (国宝)を起草したことで知られています。
- その文章と筆跡の素晴らしさから、献上された後鳥羽上皇は1万匹の絹を下賜したと伝えられています。
宇都宮信房入道道賢(うつのみやのぶふさいにゅうどう どうけん)
- 僧侶そのものではありませんが、真言宗の僧と深い関わりを持った重要な人物です。
- もとは信房と名乗る武士で、源頼朝とともに平家打倒の挙兵に加わった功臣です。
- その功績により豊前(ぶぜん)や日向(ひゅうが)に領地を与えられました。
- 晩年は、泉涌寺の開基である俊芿(しゅんじょう)に深く帰依しました。
勝覚(しょうかく)
- 醍醐寺の座主(最高位の僧)を務めた人物。
- 東寺の長者や東大寺の別当も兼任するなど、当時の仏教界で重要な地位にありました。
- 醍醐寺の三宝院(さんぼういん)を創建したことで知られています。
💡 重要な歴史に関わった僧侶
歴史の舞台で重要な役割を果たした、あるいは伝説的なエピソードを持つ僧侶です。
道昌(どうしょう)
- 真言宗の僧。
- 神護寺で真言宗の開祖である空海に学びました。
- 後に広隆寺(こうりゅうじ)の別当(責任者)を務めました。
俊寛(しゅんかん)
- 平家物語に登場する僧侶。
- 僧侶でありながら城郭構えの山荘に住んでいたとされ、平家打倒の野望を抱いたとされる人物です。
- 鹿ケ谷の陰謀に連座し、流罪となった悲劇の僧として知られています。
【今日のポイント】
京都の真言宗ゆかりの僧侶たちは、寺院の復興だけでなく、政治や歴史の大きな転換点にも深く関わっていたことがわかります。特に文覚や玄宥のように、権力者との関わりを通じて寺院の再興を果たした例は非常に重要です。
京都検定を目指す方は、彼らが関わった寺院(醍醐寺、智積院、神護寺、泉涌寺など)の歴史も合わせて確認しておくと得点につながりやすいでしょう。

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前述の練習問題の解答☆
- 義演(ぎえん)
- 文覚(もんがく)
- 玄宥(げんゆう)
- 俊芿(しゅんじょう)
- 勝覚(しょうかく)


