⛰️ 洛北に響く声明と徳川の魂:京都ゆかりの天台宗の偉僧たち#1099
京都の歴史と文化に深く関わる天台宗の偉僧たち。唐からの文化を伝え、声明(しょうみょう)を大成させた円仁、天台宗の二大潮流を築いた円珍、徳川家康の魂を祀った天海、比叡山を再興した良源など、日本の歴史を動かした4人の僧侶の功績を、洛北の地と共に辿ります。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 円仁が唐から日本に伝え、大成させた仏教の儀式で唱えられる歌や節を何といいますか。
- 円仁が天台声明の根本道場を創建し、「魚山」と号した洛北の地名はどこですか。
- 円珍の門徒が、円仁の系統(山門派)と対立し、拠り所とした寺の名前は何ですか。
- 江戸に東叡山寛永寺を開き、徳川家康を東照大権現として祀る神号を考案した天台宗の僧は誰ですか。
- 良源が再興し、円仁の法脈を継承した比叡山横川にある円仁の遺跡の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都を深く知る上で欠かせないのが、比叡山を総本山とする天台宗の存在です。特に、日本の歴史や文化に大きな足跡を残した僧侶たちの中には、京都と深い関わりを持つ天台宗の僧が多くいます。
今回は、彼らがどのようにして日本の仏教や文化を形作ってきたのか、主要な4人の僧侶の功績を辿ります。
大原の声明を確立した国際派僧:円仁(えんにん)
円仁は、日本の天台宗において極めて重要な人物です。
- 最澄からの学びと入唐 延暦寺の開祖である最澄に師事した後、唐に10年間もの長きにわたって留学しました。
- 天台声明の大成 唐の天台山から天台声明(仏教の儀式で唱えられる歌や節)を日本に伝え、大成させました。彼の持ち帰った声明は、日本の音楽や芸能にも影響を与えています。
- 天台座主と朝廷への影響 承和14年(847年)に帰国後、斉衡元年(854年)に第3代天台座主となり、文徳天皇や清和天皇といった時の天皇に菩薩戒を授けました。
- 声明の聖地・洛北の魚山 洛北の大原に、天台声明の根本道場として、のちの勝林院と来迎院となる2つの寺院を創建。この地を、天台声明の聖地とされる中国の山東省の山にちなんで「魚山(ぎょざん)」と号しました。現在も大原の里には声明が響き渡っています。
園城寺(三井寺)の伝統を築いた英傑:円珍(智証大師)
円珍は、円仁と並ぶ天台宗の二大潮流を築いた僧です。
- 師事と入唐 延暦寺の初代天台座主・義真(ぎしん)に学んだのち、円仁と同じく唐へ留学し、帰国後に天台座主となりました。
- 天台宗の二大潮流 彼の門徒は、円仁の法脈を継ぐ系統(山門派:比叡山延暦寺)と対立し、園城寺(おんじょうじ:通称・三井寺)に拠点を移しました。これにより、園珍の系統は寺門派(じもんぱ)と呼ばれる一大勢力を築き上げました。この山門派と寺門派の対立は、中世の歴史を動かす大きな要因の一つとなります。
江戸幕府の精神的支柱:天海(てんかい)
天海は、徳川家康の側近として、宗教界だけでなく政治にも大きな影響を与えた天台宗の僧です。
- 徳川家康のブレーン 天海は、徳川家康、秀忠、家光の3代にわたって仕え、江戸幕府の宗教・文化政策を担いました。
- 東叡山寛永寺の開創 江戸に、比叡山延暦寺に対抗する形で東叡山寛永寺を開きました。これは、江戸の鬼門を守り、都市の安寧を祈る重要な役割を担っていました。
- 東照大権現のプロデュース 特に重要な功績は、家康の死後、彼を神として祀るための神号「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」を考案したことです。これは、天台宗の思想に基づき、家康を日本の守護神として位置づける壮大なプロジェクトでした。
比叡山の荒廃を救った中興の祖:良源(元三大師)
良源は、疫病退散にご利益があるとされ、信仰を集める「元三大師(がんざんだいし)」として知られています。
- 円仁の法脈の継承 円仁の法脈を継承し、荒廃していた比叡山横川(よかわ)にある円仁の遺跡、首楞厳院(しゅりょうごんいん)を再興しました。
- 比叡山の中興の祖 第18代天台座主に就任し、衰退していた比叡山の規律の徹底や学問の振興に努め、延暦寺の勢威を回復させました。この功績から「比叡山中興の祖」と称されています。
- 元三大師という通称 命日が1月3日であったことから、「元三大師(がんざんだいし)」という通称で広く知られ、魔除けのお札(角大師)のモデルとしても信仰されています。
市中の人々に教えを説いた遊行僧:行円(ぎょうえん)
行円は、比叡山での修行に留まらず、市井の民衆に寄り添って活動した僧侶です。
- 民衆相手の布教活動 比叡山での修行の後、市中を遊行(ゆぎょう:各地を巡りながら教えを説くこと)して歩き、貴族や武士だけでなく、民衆相手に自説を説きました。
- 「革聖」の尊称 彼は常に鹿皮の衣(かわごろも)を着ていたため、人々から「革聖(かわのひじり)」または「皮聖」と尊称されました。
- 革堂の名の由来 行円が開いた寺院である行願寺(ぎょうがんじ)は、その革衣にちなんで今もなお通称「革堂(こうどう)」として親しまれ、京都の街中にあります。

💡 まとめ:京都・日本文化に深く根差す天台宗
天台宗の僧たちは、単に仏教を広めただけでなく、唐からの文化の導入、都(京都・江戸)の安寧への寄与、そして政治権力との関わりを通じて、日本の歴史と文化に大きな影響を与えてきました。
彼らの足跡は、比叡山、大原、そして園城寺といった京都近郊の地名と深く結びついています。これらの偉僧たちの物語を知ることで、京都の歴史がより立体的に見えてくるでしょう。

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前述の練習問題の解答☆
- 天台声明(てんだいしょうみょう)
- 大原(おおはら)
- 園城寺(おんじょうじ) または 三井寺(みいでら)
- 天海(てんかい)
- 首楞厳院(しゅりょうごんいん)


