💡 京都の歴史を彩る光と影!知っておきたい「京都ゆかりの僧」たちの足跡#1098
京都の歴史と文化は、これらの偉大な僧侶たちの足跡なくして語れません。禅宗と茶を日本に伝えた栄西、市井の人々に念仏を広めた空也上人、そして比叡山を開いた最澄など、彼らの情熱と教えが、日本の信仰の形をどのように築き上げたのかを辿ります。
この記事内容から抜粋した練習問題10問☆
- 栄西が日本に伝えた禅宗の宗派は何ですか。
- 栄西が、京都での布教を禁じられた際に著した、禅の正当性を主張する書物の名前は何ですか。
- 栄西が茶の効能を説き、将軍・源実朝に献上した著書は何ですか。
- 比叡山で修行し、浄土宗の祖となった僧侶は誰ですか。
- 法然が浄土宗の教理を確立した際に著した、ひたすら念仏を唱える教えを説いた書物の名前は何ですか。
- 市中をめぐり、念仏を広め、「市聖」や「阿弥陀聖」と呼ばれた僧侶は誰ですか。
- 空也上人が応和3年(963年)に悪病鎮静を祈って建てた堂が、後に名を改めた寺院は何ですか。
- 最澄が比叡山を開いた際に、自ら刻んだ薬師如来像を安置して最初に建てた堂の名前は何ですか。
- 栄西の弟子に師事した後、入宋して禅の曹洞宗を創始した僧侶は誰ですか。
- 道元が越前(福井県)に移り、後に永平寺と改称した寺院の、創建時の名前は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都を深く知るための、必読の人物録です。
目次
🍵 栄西(えいさい):禅と茶を日本に伝えた開祖
道号は明庵(みょうあん)。俗姓は賀陽(かや)。備中(現在の岡山県西部)の出身です。
- 比叡山で修行し、**仁安3年(1168年)と建久2年(1191年)の2度にわたって入宋(にっそう)**しました。
- 2度目の入宋で臨済宗**黄竜派(おうりゅうは)の虚庵懐敞(きあんえしょう)**に参じて印可を得て、臨済宗を日本に伝えました。
- 帰国後、京都での布教に努めましたが、**延暦寺(比叡山)**の妨害を受け、朝廷から布教を禁じられます。
- 布教の正当性を主張するため、**『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』**を著しました。
- その後、鎌倉へ移り、北条政子や源頼家らの帰依を受け、禅の布教を許されました。
- 正治2年(1200年)に鎌倉の寿福寺の初代住職となります。
- 建仁2年(1202年)には京都に建仁寺(臨済宗建仁寺派の大本山)を開創しました。
- 禅院の喫茶の風習を日本に持ち帰り、将軍・源実朝に茶を奨めるため、茶の効能を説いた**『喫茶養生記(きっさようじょうき)』**を執筆し、献上したことでも知られています。

🙏 空也上人(くうやしょうにん):市中をめぐり念仏を広めた「市聖」
- 尾張(現在の愛知県西部)の寺で得度し、空也と自称しました。出自や生国は不明とされています。
- 若いころから諸国をめぐり、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えることを広めました。
- **天慶元年(938年)**に入京し、市中(市場など)で説経し、阿弥陀念仏を勧めました。
- 念仏を唱えながら鉢を叩く鉢叩き念仏を行いました。
- その活動から、**「市聖(いちのひじり)」「市の上人」「阿弥陀聖(あみだひじり)」**と尊称されました。
- 応和3年(963年)には、都で流行した悪病の鎮静を祈って賀茂川の東に堂を建てました。
- このお堂が西光寺となり、後に弟子の中信が名を改め、現在の**六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)**となりました。
⛰️ 最澄(さいちょう):比叡山に天台宗を開いた日本仏教の巨匠
- 近江の滋賀郡の出身で、幼名は広野。俗姓は**三津首(みつのおびと)**です。
- 近江の国分寺で学んだ後、奈良の東大寺で**具足戒(ぐそくかい)**を受けました。
- 奈良仏教に疑問を感じ、延暦4年(785年)に比叡山に入山しました。
- 延暦7年(788年)、自ら刻んだ薬師如来の像を安置し、**一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建立しました。これが後の比叡山寺(延暦寺)**の開創とされています。
- 延暦24年(805年)に唐から帰国し、翌延暦25年(806年)、朝廷に申請していた天台宗の年分度者(ねんぶんどしゃ)(正式な僧侶になるための制度)の追加が認められ、ここに天台宗が正式に開宗しました。
- 既存の奈良仏教から独立し、天台宗独自の僧侶を育成するため、延暦寺に独自の戒壇(かいだん)(僧侶が正式に戒律を受ける場所)を設立することを計画しましたが、既存宗派や僧綱(そうごう:僧侶を統括する役所)の反対でなかなか認可されませんでした。
💡 法然(ほうねん):「専修念仏」で浄土宗を開く
- 美作(みまさか)(現在の岡山県北東部)の出身で、俗姓は**漆間時国(うるまのときくに)**の子。
- 弘安3年(1147年)に比叡山に入り、西塔(さいとう)の源光や叡空(えいくう)に師事し、師の諱(いみな)を受けて法然房源空と号しました。
- **「南無阿弥陀仏」とひたすら阿弥陀仏の名号を唱える専修念仏(せんじゅねんぶつ)**の教理を説き、浄土宗の祖となりました。
- **『選択(せんちゃく)本願念仏集』**を著し、専修念仏の教理を確立しましたが、旧仏教勢力からの妨害は絶えませんでした。
- 晩年には一時、四国に流罪となりました。
- 法然が京都の**大谷(おおたに)に構えた房が、後に知恩院(ちおんいん)**となりました。
🌲 道元(どうげん):栄西の教えを継ぎ、曹洞宗を創始
- **土御門通親(つちみかどみちちか)**の子とされています。
- 栄西の弟子である**明全(みょうぜん)**に師事しました。
- 入宋の後、帰国して**禅の曹洞宗(そうとうしゅう)**を創始しました。
- 比叡山の圧迫を避けるため京都を離れ、越前(現在の福井県)に移り、大仏寺を建てました。これは2年後に**永平寺(えいへいじ)**と改称されました。
- 主著は**『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』**です。
🗻 日蓮(にちれん):法華経の教えに基づく日蓮宗を開く
- 安房(あわ)(現在の千葉県南部)の出身です。
- 延暦寺や奈良、鎌倉などで学び、**『法華経(ほけきょう)』**に依拠する宗派、日蓮宗を開きました。

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前述の練習問題の解答☆
- 臨済宗(りんざいしゅう)
- 興禅護国論(こうぜんごこくろん)
- 喫茶養生記(きっさようじょうき)
- 法然(ほうねん)
- 選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)
- 空也上人(くうやしょうにん)
- 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)
- 一乗止観院(いちじょうしかんいん)
- 道元(どうげん)
- 大仏寺(だいぶつじ)


