🍵京都の美を築いた庭師たち:ゆかりの作庭家を訪ねて#1092
京都の美しい庭園を造り上げた作庭家たちにスポットを当てます。武士から詩人になった石川丈山と、革新的なデザインで知られる重森三玲。彼らの人となりや代表作(詩仙堂、東福寺「八相の庭」など)を知ることは、京都の文化を深く理解する第一歩です。京都検定対策にも役立つ知識をまとめました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 武士として徳川家康に仕えた経歴を持ち、引退後に洛北に「詩仙堂」を造営した人物は誰ですか。
- 詩仙堂の庭園にある、水が落ちる音で鹿を脅し、畑を荒らさせないようにする仕掛け(本来の目的)は何と呼ばれますか。
- 昭和の時代に活躍し、「庭園のモダニスト」と呼ばれ、華道家や庭園史の研究家でもあった作庭家は誰ですか。
- 重森三玲の代表作であり、南庭の枯山水で四仙島と五山を表現した砂紋が特徴的な、東福寺の方丈の庭園は何と呼ばれますか。
- 重森三玲の代表作である東福寺の方丈庭園の北庭で、苔と敷石を組み合わせて意匠された模様は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
これから京都の文化を深く知りたい方、特に京都検定を目指す方のために、京都の地に素晴らしい庭園を残した作庭家たちをご紹介します。彼らの歴史と代表作を知ることは、古都の魅力を深く理解することに繋がります。
1. 石川 丈山(いしかわ じょうざん)
石川丈山は、もともと徳川家康に仕えた武士でしたが、大坂夏の陣の後に浪人となり、その後は学問や詩作に生きる道を選びました。
- 経歴のハイライト:
- 徳川家康の近習として仕える。
- 大坂夏の陣で軍令に違反したため、武士の道を引退。
- 詩人、儒学者として名声を確立。
- 代表的な作庭:
- 詩仙堂(しせんどう):晩年、洛北の一乗寺に隠棲するために造営した山荘です。三十六歌仙に代わり、中国の漢詩人三十六人の肖像を掲げた「詩仙の間」があり、**「丈山格子」**と呼ばれる独特の格子窓や、**鹿威し(ししおどし)**の発祥地としても有名です。

2. 重森 三玲(しげもり みれい)
昭和の時代に活躍し、「庭園のモダニスト」とも呼ばれるのが重森三玲です。伝統的な庭園様式を深く研究しながらも、そこに前衛的・現代的なデザインを取り入れ、新たな境地を切り開きました。
- 経歴のハイライト:
- 岡山県出身。
- 華道家としての一面も持ち、池坊で華道教授を務めた経歴がある。
- 庭園史の研究家としても知られ、『日本庭園史図鑑』など多数の専門書を執筆。日本美術学校を卒業し、美術的素養も豊かでした。
- 1896年に生まれ、1975年に亡くなりました。
- 代表的な作庭:
- 東福寺 方丈庭園「八相の庭」: 禅宗寺院の代表的な庭園として知られます。東西南北の四つの庭から構成されており、特に北庭の市松模様の苔と敷石、南庭の**「八相の庭」**(蓬莱、方丈、壺梁、瀛洲の四仙島と五山を表現した砂紋)は、伝統と現代が見事に融合した傑作と評価されています。
【記事のまとめ】
京都には、時代を超えて人々を魅了する美しい庭園が数多く残されています。これらは、単なる自然の再現ではなく、作庭家たちの思想や美意識が凝縮された芸術作品です。石川丈山の隠棲の美と重森三玲の革新的な美学。この二人の偉大な庭師の作品を巡ることは、京都探訪の醍醐味の一つとなるでしょう。

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前述の練習問題の解答☆
- 石川丈山
- 鹿威し(ししおどし)
- 重森三玲
- 八相の庭(はっそうのにわ)
- 市松模様


