🎨 禅と水墨が織りなす美の系譜:京都画家・雪舟の流れを汲む巨匠たち#1076
水墨画の巨匠・雪舟を源流とする画家たちの系譜を解説。禅と密接に結びつきながら、長谷川等伯や雲谷等顔といった独自の才能を育んだ京都画壇の魅力に迫ります。京都の寺院に残る国宝級の傑作と共に、彼らの華麗な芸術の世界を辿りましょう。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 室町時代、京都の相国寺で禅を学び、周文に画法を学んだことで知られる、水墨画の大成者は誰か。
- 雪舟の代表作の一つで、京都国立博物館に所蔵されている国宝の風景画のタイトルを答えよ。
- 雪舟作の枯山水庭園があることで知られる、京都の東福寺の塔頭の名称を答えよ。
- 雪舟の門人である等春に学び上京し、後に大徳寺の障壁画を手がけ、狩野派と対立した桃山時代の画家は誰か。
- 肥前の武家出身で、毛利輝元に仕え、雪舟の旧跡である雲谷庵を拝領したことから「雲谷」を号した画家は誰か。
☆回答は記事の最後にあります。
これは、日本の水墨画を語る上で欠かせない巨匠、雪舟から連なる画家たちの魅力に迫る記事です。京都の禅寺を舞台に育まれ、それぞれの流派や個性を確立していった彼らの作品を通して、その豊かな芸術の世界を覗いてみましょう。
目次
🌟 水墨画の頂点に立つ孤高の天才:雪舟(せっしゅう)
雪舟は、15世紀初めに備中(現在の岡山県西部)に生まれました。
- 🎨 画業の始まり:
- 京都の相国寺で禅を学び、**周文(しゅうぶん)**に画法を学びました。
- 相国寺では「接侍役(じせつやく)」という、お客をもてなす役を務めていた記録が残っています。
- 🚢 中国への渡航:
- 周防(現在の山口県)の大内家の保護を受け、画業に専念。
- その後、中国(明)へ渡り、本場の水墨画を学びました。
- 🏆 画壇での功績:
- 禅僧である一方、後世には水墨画の最高峰として知られています。
- 🖼️ 代表的な作品とゆかりの地:
- 「天橋立図」(国宝):京都国立博物館が所蔵する傑作です。
- 「東福寺伽藍図」(重要文化財):東福寺の建築群を描いた作品。
- 東福寺塔頭の芬陀院(ふんだいん):雪舟作とされる枯山水庭園があります。

🌊 雪舟の教えを受け継いだ孤高の画人:雪村(せっそん)
雪村は、室町時代後期に活躍した画家です。
- 👨🎨 雪舟とのつながり:
- 雪舟に画法を学んだとされ、その力強い筆致には雪舟の影響が見られます。
- 🖼️ 代表作:
- 独特の激しい筆致が特徴の**「風濤図(ふうとうず)」**が代表作として知られています。
🌸 狩野派と対立した華麗な桃山絵画:長谷川等伯(はせがわとうはく)・久蔵(きゅうぞう)
雪舟の系譜から独自の道を切り拓いたのが、長谷川等伯とその息子の久蔵です。
- 💡 等伯のルーツ:
- 等伯は能登(現在の石川県)の出身で、雪舟の門人である等春に学んだ後、上京しました。
- 🏛️ 京都での活躍:
- 京都の大徳寺などにおいて、豪華絢爛な障壁画(襖絵や壁画)を描きました。
- 「楓図」(等伯)や**「桜図」(久蔵)は、昭和27年に国宝**に指定されています。
- ⚔️ 画壇での苦闘:
- 当時の主流であった狩野派と激しく対立し、排斥されるなど、厳しい道を歩みました。
🌲 雪舟の精神と旧跡を継ぐ:雲谷等顔(うんこくとうがん)
雲谷等顔は、肥前(現在の佐賀県・長崎県)の武家出身で、毛利輝元に画家として仕えました。
- 🏠 「雲谷」の由来:
- 毛利輝元から、かつての雪舟の旧跡である雲谷庵を拝領したことから、「雲谷」を号するようになりました。
- 🏛️ 主な作品:
- 大徳寺塔頭の黄梅院(おうばいいん)に残る「竹林七賢図」(重要文化財)などの水墨画が有名です。
これらの画家たちは、雪舟という偉大な源流から流れを受け継ぎ、時には対立し、それぞれの時代で独自の美を確立しました。京都の寺院や博物館には、彼らが残した多くの傑作が今も大切に守られています。

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前述の練習問題の解答☆
- 雪舟(せっしゅう)
- 天橋立図(あまのはしだてず)
- 芬陀院(ふんだいん)
- 長谷川等伯(はせがわとうはく)
- 雲谷等顔(うんこくとうがん)


