🌸 古典文学を彩る調べ:京都から始まる「和歌集」の世界へ#1069
日本の古典文学を深く彩る「和歌集」の世界へようこそ。
問1 日本で最初の勅撰和歌集であり、延喜5年(905年)頃に醍醐天皇の勅命により編纂された歌集名を答えなさい。
問2 問1の和歌集の撰者として知られる4人の歌人のうち、仮名序の作者としても知られる人物名を答えなさい。
問3 「古今和歌集」や「後撰和歌集」に採用されるべきだった歌を「拾い集めた」という意味合いから名付けられた、「八代集」の3番目の勅撰和歌集名を答えなさい。
問4 白河法皇の院宣によって編纂され、「八代集」の5番目に位置する和歌集名を答えなさい。また、この和歌集の巻末には、和歌とは別に何が独立して配されているか答えなさい。
問5 後白河法皇の院宣により編纂され、藤原俊成が撰者を務めた、「八代集」の7番目の勅撰和歌集名を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
天皇や上皇の命で編纂された「勅撰和歌集」の中から、特に重要な『古今和歌集』から『千載和歌集』までを、その成立背景や選者、主要な特徴とともにわかりやすくご紹介します。
はじめに:和歌集とは?
日本の古典文学を語る上で欠かせない「和歌集」。特に**「勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)」**は、天皇や上皇の命によって編纂された公的な歌集で、当時の文化や人々の心情を今に伝える貴重な資料です。これから、特に有名な和歌集をいくつかご紹介します。
📚 最初の勅撰集:『古今和歌集(こきんわかしゅう)』
📜 編纂の経緯と特徴
- 成立: 延喜5年(905年)頃に醍醐天皇の勅命により編纂されました。
- 歴史的意義: 日本で最初の勅撰和歌集です。
- 撰者(選者):紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、**壬生忠岑(みぶのただみね)**の4人が務めました。
- 序文: 序文には、**仮名(ひらがな)で書かれた「仮名序(かなじょ)」**と、**漢文で書かれた「真名序(まなじょ)」**の2種類があります。
- 仮名序の作者: 紀貫之
- 漢文序の作者: 紀淑望(きのよしもち)
💡 こぼれ話
江戸時代の狂歌作者・**宿屋飯盛(やどやのめしもり)**は、古今和歌集の仮名序にある「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづのことのはとぞなれる」(和歌は、人の心を種として、さまざまな事柄を表す言葉となる)をもじって、「歌よみは下手こそよけれあめつちのうごきだしてはたまるものかな」という歌を詠んでいます。
✨ 洗練された美意識:『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』
📜 「八代集」の3番目
- 八代集(はちだいしゅう): 古今和歌集から新古今和歌集までの8つの勅撰和歌集の総称です。その3番目に位置します。
- 選者: **花山上皇(かざんじょうこう)**が中心となり、**藤原公任(ふじわらのきんとう)**も関わったとされています。
- 名前の由来: 「古今和歌集」や「後撰和歌集」などに採用されるべきだった歌が**「遺された(もれた)」ので、それを「拾い集めた」**という意味合いから名付けられました。
🌙 院政期の調べ:『金葉和歌集(きんようわかしゅう)』
📜 「八代集」の5番目
- 成立の背景: **白河法皇(しらかわほうおう)**の院宣(いんぜん:上皇の命令)によって編纂されました。
- 撰者: **源俊頼(みなもとのとしより)**が編集しました。
- 成立年: 大治元年(1126年)に草稿のまま納入されたと伝えられています。
- 形式の革新: 巻末に、和歌とは別に**連歌(れんが)**が独立した形で配されているのが特徴です。
🗻 幽玄への一歩:『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』
📜 「八代集」の7番目
- 成立の背景: **後白河法皇(ごしらかわほうおう)**の院宣によって編纂されました。
- 撰者: 歌人として名高い**藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)**が務めました。
- 時代: 平安時代末期から鎌倉時代初期の歌を集めており、後の『新古今和歌集』につながる**「幽玄(ゆうげん)」**などの美意識を確立する基盤となった歌集です。
これらの和歌集は、それぞれに編纂された背景や時代精神が反映されており、ただの歌の寄せ集めではなく、当時の文化的な営みそのものを映し出しています。
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問1 古今和歌集(こきんわかしゅう)
問2 紀貫之(きのつらゆき)
問3 拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)
問4 金葉和歌集(きんようわかしゅう)、連歌(れんが)
問5 千載和歌集(せんざいわかしゅう)