📜 京都の古寺を巡る!宗派でわかる歴史と魅力(天台宗、真言宗、浄土真宗、日蓮宗編)#1060
京都に数多く存在する古寺を深く理解するためには、その寺院が属する「宗派」を知ることが欠かせません。この記事では、天台宗、真言宗、浄土真宗、日蓮宗の4つの主要宗派に焦点を当て、開祖や教え、そして京都での広がりや歴史的な役割を解説します。これから京都を目指す方や、より深く歴史を知りたい方のための「宗派でわかる京都史」の入門編です。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 平安時代初期に天台宗を開き、比叡山を拠点とした僧侶の名前を答えなさい。
- 真言宗の開祖である空海が、高野山の金剛峯寺と並んで二大拠点とした、平安京内の寺院の名称を答えなさい。
- 浄土真宗の開祖であり、法然の弟子であった僧侶の名前を答えなさい。
- **法華宗(日蓮宗)**において、室町時代に洛中に合わせて21もの本山寺院を築くなど、主に布教の対象とした新興の階層を答えなさい。
- 天文5年(1536年)、法華宗(日蓮宗)が敗れ、宗徒が一時的に避難した、比叡山延暦寺による戦火のことを何と呼ぶか答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
京都には長い歴史を持つ多くの古寺が存在しますが、それぞれの寺院が異なる宗派に属し、独自の教えと歴史を継承しています。
ここでは、特に京都と関係の深い天台宗、真言宗、浄土真宗、**日蓮宗(法華宗)**の主要な宗派について、その成り立ちと京都での展開を解説します。
目次
⛰️ 天台宗:比叡山から日本仏教の母へ
天台宗は、平安時代初期に**最澄(さいちょう)**が開いた宗派です。
- 開祖と開宗
- 最澄は、**延暦23年(804年)**に入唐(にっとう)し、翌年に帰国。
- 比叡山に根本道場を開き、この地を拠点に研学と布教を行いました。
- 比叡山延暦寺は、後に日本仏教の母山と呼ばれるほど、多くの宗派の祖師を輩出しました。
💎 真言宗:密教の伝来と二大拠点
真言宗は、最澄と同時期に入唐した**空海(くうかい)**によって日本に伝えられました。
- 開祖と密教の継承
- 空海は唐で真言密教の正系を継承しました。
- 大同元年(806年)に帰国し、弘仁元年(809年)には高雄山寺(神護寺)で鎮護国家のための最初の修法を行い、ここに真言宗が発足しました。
- 二大拠点
- 空海は、高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)と、平安京の正門にあたる東寺(教王護国寺)を二大拠点としました。
- 空海没後も、勧修寺(かじゅうじ)、泉涌寺(せんにゅうじ)、**仁和寺(にんなじ)など、巨大な伽藍(がらん)**を持つ寺院が京都に築かれました。
🙏 浄土真宗(一向宗):親鸞による本願寺の発展
浄土真宗は、鎌倉時代に法然の弟子である親鸞(しんらん)が開いた浄土教系統の宗派です。真宗または一向宗とも呼ばれます。
- 宗派の始まりと本願寺
- 親鸞の墓所の留守職として始まったのが本願寺です(後に東西本願寺に分かれます)。
- 本願寺をはじめ、京都市中や**山科(やましな)**に多数の寺院を持つことになります。
- 京都での一時的な衰退
- 室町時代には、京都の地では一時的に勢力を衰退させていました。
⚔️ 日蓮宗(法華宗):市中での布教と法華一揆
日蓮宗は、鎌倉時代に日蓮が開いた宗派で、京都では特に法華宗とも呼ばれました。
- 京都での展開
- 日蓮の弟子である日像(にちぞう)が、13世紀末に京都での布教を決行しました。
- 複数の系統が競い合い、室町時代には洛中(京都市街)に21もの本山寺院が建てられるほど、大きな勢力となりました。
- 新興勢力との結びつき
- 新興の商人層を布教の対象とし、本山寺院は市中に建てられたのが特徴です。
- 天文法華の乱
- 天文5年(1536年)、比叡山延暦寺の僧兵に攻められて敗北し、多くの寺院が焼失。宗徒は一時的に和泉の**堺(さかい)**などに避難しました(天文法華の乱)。
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前述の練習問題の解答☆
- 最澄
- 東寺(または教王護国寺)
- 親鸞
- 新興の商人層
- 天文法華の乱