🌊 琵琶湖疎水:明治の京都を甦らせた壮大なプロジェクト#1056

京都市の近代化を支えた一大プロジェクト「琵琶湖疎水」。若き技術者・田邊朔郎が中心となり、衰退した古都を再生するために挑んだ世紀の難工事の歴史と、壮大なトンネル群に刻まれた明治の要人たちのメッセージを紹介します。知られざる京都のエネルギーの源流を巡りましょう。

この記事内容から抜粋した練習問題10問☆
  1. 琵琶湖疎水の設計監理を主任技師として担当し、若くして大事業を成功に導いた工部大学校(現・東京大学)出身の人物の名前を漢字で答えなさい。
  2. 琵琶湖疎水の建設が始まったのは、西暦何年か答えなさい。
  3. 琵琶湖疎水が京都にもたらした最も重要なエネルギー源として、水流の落差を利用して建設され、明治24年(1891年)に発・送電を開始した発電所の名前を答えなさい。
  4. 第一疎水にある3つのトンネルのうち、東の入り口に内閣総理大臣・伊藤博文の「気象萬千」の扁額が掲げられているトンネルの名前を答えなさい。
  5. 疎水分線が通る、古代ローマの水道橋を思わせるアーチ型の構造物で、当初は簡単な石組みの予定だったが、名刹の景観に配慮して美的に建設されたものは何か答えなさい。

☆回答は記事の最後にあります。

京都市と滋賀県大津市を結ぶ「琵琶湖疎水」は、単なる水路にとどまらない、古都・京都の近代化を支えた一大土木事業です。当時の人々の情熱と高度な技術が詰まったこの水路の魅力を、ブログ記事風にまとめました。


💡 なぜ、琵琶湖の水を京都へ? — 古都再生への願い

琵琶湖疎水の目的は、衰退していた京都の再生にありました。江戸末期に東京遷都で活力を失いかけていた古都に、再び賑わいを取り戻すためのエネルギー源として、琵琶湖の水が求められたのです。

  • 初期の構想:
    • **物資の輸送路(運河)**として利用する。
    • 水流の落差を利用し、水車を動かして工作機械などの動力とする。
  • 設計・立役者:
    • 設計監理: 田邊朔郎(たなべ さくろう)。まだ若き工部大学校(現在の東京大学工学部)卒業生が主任技師として抜擢されました。
    • 発案・推進: 京都府第三代知事、北垣国道(きたがき くにみち)。
    • 測量士: 島田道生。

🗓️ プロジェクトの軌跡

  • 明治18年(1885年): 着工。
  • 明治23年(1890年):第一期工事(第一疎水)完成
  • 明治24年(1891年):蹴上発電所が発・送電を開始。これにより、当初の動力源構想に加え、日本初の営業用水力発電事業がスタートしました。

⛏️ 難工事を乗り越えたトンネル群

第一疎水は、滋賀県大津市から京都市へ水を引くために、**長等山(ながらやま)、御陵(みささぎ)、日ノ岡(ひのおか)**の3つの大きな山を貫くトンネルを開削しました。

名だたる政治家による扁額(へんがく)の揮毫

日本の近代化を担った当時の要人たちが、工事の偉大さを称え、トンネルの東西の入り口に扁額(額縁に書かれた文字)を揮毫しています。

トンネル名設置場所揮毫者扁額の文字意味
長等山トンネル東口内閣総理大臣・伊藤博文気象萬千千変万化する気象と風景が素晴らしい
長等山トンネル西口陸軍大将・山形有朋廓其有容廓として其れ容(かたち)あり(広大で万物を包み込む器量を持つ)
第二トンネル(御陵)東口外務大臣・井上馨仁以山悦智為水歡仁は山を以て悦び、智は水と為るを歓ぶ(『論語』から)
第3トンネル(日ノ岡)西口太政大臣・三条実美美哉山河美しき哉、山河

📏 疎水がたどる道のりと活用の多様性

琵琶湖疎水は、水力発電だけでなく、運河、灌漑、防火用水など、多岐にわたる役割を果たしました。

  • 第一疎水:
    • 滋賀県大津市の取水地から、京都市伏見区で一級河川濠川となる地点まで、全長約20kmの運河。
    • 蹴上付近から岡崎側へは標高差約36mを利用して水力発電に活用されました。
  • 疎水分線(分線):
    • 蹴上付近から分岐し、南禅寺水路閣を経て白川に至る全長約3.3kmの枝線。
    • 当初は幹線として計画されましたが、灌漑や防火用水の供給が主要目的に。南禅寺周辺の庭園の発達にも寄与しました。
  • 第二疎水:
    • 後年、水需要の増加に伴い、第一疎水とほぼ同じ取水地点から全線トンネルで建設されました。
    • 全長約7.4kmで、蹴上付近で第一疎水と合流します。

🏛️ 南禅寺水路閣 — 技術と美の融合

疎水分線が南禅寺の広大な境内を通る際、当初は簡単な石組みで済ませる予定でした。しかし、名刹の景観に配慮し美の観点も必要とされ、古代ローマの水道橋を思わせる**堂々たるアーチ型の「水路閣」**が建設されました。


琵琶湖疎水は、京都の歴史を変えた明治の偉業であり、今もなお京都の都市機能を支える大切なインフラです。蹴上インクラインや水路閣など、当時の技術の結晶を身近に感じられる場所として、散策してみるのもおすすめです。

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この記事を書いた人
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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆
  1. 田邊朔郎(たなべ さくろう)
  2. 1885年(明治18年)
  3. 蹴上発電所(けあげはつでんしょ)
  4. 長等山トンネル(ながらやまトンネル)
  5. 南禅寺水路閣(なんぜんじすいろかく)

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳