🌸 琵琶湖疎水の恵みと歴史が息づく「蹴上」を歩く:知られざる京の魅力を再発見!#1057
地下鉄蹴上駅周辺は、京都の近代を支えた琵琶湖疏水の歴史と、自然、文学の物語が深く息づく場所です。蹴上浄水場のツツジや、歌人・与謝野晶子の足跡、そして牛若丸の故事に由来する地名の秘密まで、知られざる蹴上の魅力を深掘りします。歴史ロマンあふれる京の東山エリアを歩いてみましょう。
設問1 地下鉄東西線「蹴上駅」近くにある京都市の浄水場は、明治45年(1912年)に完成しました。この浄水場名を答えなさい。
設問2 この浄水場は、京都市への主要な水源として、ある水路から取水・浄水しています。その水路の名称を答えなさい。
設問3 明治34年(1901年)に与謝野晶子、鉄幹、山川登美子らが宿泊したとされる、蹴上浄水場付近にあった旅館の名称を答えなさい。
設問4 設問3の旅館跡に立てられた与謝野晶子の歌碑には、「おめざめの鐘は知恩院聖護院 いでてみたまへ〇〇〇〇〇」と刻まれています。〇に入る結びの五文字を答えなさい。
設問5 「蹴上」という地名の由来となった故事で、東国へ下る途中に平家の騎馬武者らと争いになったとされる人物を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
蹴上(けあげ)は、京都市内でも特に琵琶湖疏水の歴史と自然の美しさを感じられる魅力的なエリアです。京都検定の知識としても役立ちますが、まずはその土地が持つ物語に焦点を当ててご紹介します。
🏞️ 蹴上浄水場:水が都を潤すロマン
蹴上浄水場は、京都市の近代化を支えた重要な施設です。
- 所在地と歴史:
- 地下鉄東西線「蹴上駅」からほど近い、華頂山(かちょうざん)の麓に位置します。
- 明治45年(1912年)に完成し、現在も京都市の主要な浄水場の一つとして機能しています。
- 琵琶湖疏水との関係:
- ここが重要なのは、琵琶湖疏水から取水して浄水を行っている点です。疏水が京都にもたらした水の恵みを今に伝える場所です。
- 知られざる名所:
- 普段は非公開ですが、春にはツツジやサツキが咲き誇る名所としても知られており、一般公開される時期は多くの人で賑わいます。
📜 与謝野晶子の歌碑と文学の足跡
蹴上浄水場付近は、明治期の文学者たちにとっても特別な場所でした。
- 「辻野」旅館の跡:
- 明治34年(1901年)、歌人の与謝野晶子、与謝野鉄幹、そして山川登美子が逗留したとされる「辻野」旅館があった場所です。
- 晶子の歌碑:
- その跡地には、与謝野晶子の自筆を刻んだ歌碑が立っています。
- 刻まれているのは、滞在中に詠まれた次の歌です。「おめざめの鐘は知恩院聖護院 いでてみたまへ紫の水」
⚔️ 「蹴上」地名に秘められた武士の物語
「蹴上」というユニークな地名は、一つの悲しい故事に由来しています。
- 牛若丸の伝説:
- 源義経(牛若丸)がまだ幼い頃、東国へ下る途中の出来事とされています。
- この地で、平家の騎馬武者たちが牛若丸に水を蹴り上げ、それがもとで争いになり、牛若丸が武者たちを斬り殺してしまったという物語です。
- 地名の由来:
- この「水を蹴り上げた」という出来事にちなんで、この土地が蹴上と呼ばれるようになったと伝わっています。
- 武者たちの菩提:
- 土地の人々は、この争いで命を落とした武者たちの霊を弔うために石仏を立てた、とも言われています。
💡 蹴上散策のポイント:
蹴上を訪れる際は、琵琶湖疏水のインクライン跡(傾斜鉄道)や南禅寺へのアクセスも抜群です。歴史と文学、そして近代土木のロマンが交差するこの場所を、ぜひゆっくりと散策してみてください。

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回答1 蹴上浄水場
回答2 琵琶湖疏水(または疏水)
回答3 辻野(または辻野旅館)
回答4 紫の水
回答5 牛若丸(または源義経)

