🏮薪の炎に浮かび上がる幽玄の世界:能楽「猿楽と薪能」を巡る歴史と魅力#1054
能楽の源流である**「猿楽」と、夏の夜を彩る幽玄な行事「薪能」について、その歴史と変遷を深掘りします。奈良の寺社に仕えた大和猿楽の四座の隆盛から、興福寺の修二会に奉納された「薪の能」の起源、そして現代の京都薪能がどのようにして平安神宮**で始まったのか。能楽の魅力を深く知り、さらに京都検定対策にも役立つ知識を分かりやすくまとめました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 室町時代、奈良の興福寺への奉仕を引き受けた大和猿楽の座は、円満井、外山、結崎、坂戸の合わせて何座と呼ばれていますか。
- 能楽を大成させた観阿弥・世阿弥の親子を輩出した大和猿楽の座の名前は何ですか。
- 薪能のルーツとなった、奈良の興福寺で毎年行われていた仏教行事の一つは何ですか。
- 薪能の起源となった興福寺の行事において、「薪の能」の薪は、照明の具ではなく、何のための火を焚くためのものであったとされていますか。
- 京都で「京都薪能」が京都市と京都能楽会の共催で始められたのは、何年にどこの神社で始まりましたか。
☆回答は記事の最後にあります。
能楽は室町時代に成立し、日本を代表する伝統芸能の一つです。その源流である「猿楽(さるがく)」と、夏の夜を彩る行事「薪能(たきぎのう)」について、その歴史と魅力をご紹介します。
目次
🎭 猿楽から能楽へ:大和猿楽と四座の力
能楽の旧称である**「猿楽」**は、古くは物まねや曲芸などを含む様々な芸能の総称でした。
⛩️ 大和猿楽の誕生
- 大和猿楽は、現在の奈良県にあたる大和国の寺社に神事や祭礼を行う芸能で仕えていた猿楽の座を指します。
- 室町時代に入ると、この大和猿楽の座が、奈良の興福寺への奉仕を引き受けることで大きな力を持つようになります。
🌟 四座の隆盛
興福寺に奉仕した中心的な座は以下の四座です。
- 円満井(えんまいい)
- 外山(とび)
- 結崎(ゆうざき)
- 坂戸(さかと)
特に結崎座からは、能を大成させた観阿弥(かんあみ)・**世阿弥(ぜあみ)**の親子を輩出し、現在の能楽の基礎を築きました。
🌾 もう一つの座:山田猿楽
四座のほかに、多武峰(とうのみね)の神事で奉仕した山田猿楽という座もありました。こちらは桜井の山田に本拠を置いていました。
🔥 幽玄の炎に舞う:薪能の歴史と現代
**薪能(たきぎのう)**は、夜間に野外で篝火(かがりび)を焚き、その光の中で行われる能楽のことで、起源は奈良にあります。
🦌 奈良の「薪御能(たきぎおのう)」が起源
- 薪能のルーツは、奈良の興福寺で毎年行われた仏教行事の一つ、**修二会(しゅにえ)**の儀式にあります。
- 東西の金堂に神聖な薪を運び入れ、法相守護の仏・菩薩を勧請(かんじょう)する際、本尊に献ずる猿楽が**「薪の能」**と呼ばれました。
- この時の「薪」は照明のための道具ではなく、奉献の火を焚くためのものであったのが特徴です。
- その最古の記録は**建長7年(1255年)**に遡ります。
- 室町時代には、大和猿楽の四座がこの修二会で能を奉納する義務を負っていました。
⛩️ 京の夏の風物詩:京都薪能
興福寺の勢力衰退とともに衰微し、明治時代に途絶えてしまった薪能ですが、昭和27年(1952年)に復興しました。
- 一方、京都では**昭和25年(1950年)に、京都市と京都能楽会の共催により、平安神宮で「京都薪能」**が始まりました。
- 奈良の薪御能にならって企画されたもので、現代において独自の歴史を築いています。
- 現在では、毎年6月1日・2日に、平安神宮の龍尾檀下の特設舞台で催され、京都の初夏の風物詩として親しまれています。
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前述の練習問題の解答☆
- 四座
- 結崎座(ゆうざきざ)
- 修二会(しゅにえ)
- 奉献(ほうけん)の火
- 昭和25年(1950年)、平安神宮