⛩️ 四神相応と鬼門の守り:古都を形作る方角のミステリー#1052
千年以上の都、京都を形作った古の知恵と伝説に迫ります。
- 古代中国の思想で、宮都(きゅうと)にふさわしい理想的な土地の基準とされ、京都選定の根拠となったものを何といいますか。
- 「四神相応」において、北の守護神とされ、地形としては丘陵や山脈を象徴する神獣の名前は何ですか。
- 平安京への遷都を決断するにあたり、桓武天皇の命を受け山背国の葛野(かどの)の地相を判じた人物のうち、藤原小黒麻呂(おぐろまろ)ともう一人の名前を記しなさい。
- 京都御所の北東角(鬼門)の塀が、災いを避けるために内側に切り込まれた場所は、通称何と呼ばれていますか。
- 京都御所の鬼門の屋根瓦の下に、御幣(ごへい)を担いで御所を守っている、木造の動物は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
理想の都を定める「四神相応」の考え方や、災いから御所を守る「鬼門の猿」の物語を通じて、古都の奥深い魅力と、方角に込められた人々の願いを紐解きます。
🐉 四神相応(しじんそうおう)― 理想の都を定める地の選定基準
京都が日本の都として選ばれ、長きにわたり栄えた背景には、古代中国から伝わる**「四神相応」という特別な思想があります。これは、その土地に住む人々に官位・無病・長寿**をもたらす、極めて縁起の良い理想の地形を指すものです。
この思想に基づき、桓武天皇が平安京の造営地を選定する際の決定的な根拠となりました。
四神が守護する理想の地形
| 方角 | 神獣 | 象徴する地形 | 京都での該当地 |
| 東 | 青龍(せいりゅう) | 清らかな流水(大川) | 桂川、鴨川 |
| 西 | 白虎(びゃっこ) | 広く平坦な大道 | 丹波路(山陰道)、朱雀大路 |
| 南 | 朱雀(すざく) | 水たまり(洿地) | 巨椋池(おぐらいけ)※現在は干拓 |
| 北 | 玄武(げんぶ) | 高い丘陵(大岩) | 北山、船岡山、丹波高原 |
桓武天皇は延暦12年(793年)、藤原小黒麻呂(おぐろまろ)、紀古佐美(きのこさみ)らを山背(やましろ)国の葛野(かどの)に派遣して地相を調査させました。彼らが**「この地は四神相応の理想郷である」**と報告したことで、平安京への遷都が正式に決断されたのです。
🐒 鬼門の猿 — 災いから御所を守る知恵
方角にまつわる伝説の中でも、京都御所に見られるのが**「鬼門の猿」**の伝説です。
古代、都を守る上で最も避けなければならないとされたのが、災いが入ってくるとされる**「鬼門」、すなわち艮(うしとら)の方角(北東)**です。
御所の塀の秘密「猿ヶ辻」
- 場所: 京都御所の北東角(鬼門の方角)の石塀。
- 特徴: この角の塀は、鬼がまっすぐに入ってこられないようにと、内側にわずかに切り込まれた形になっています。
- 守り神: この鬼門を守るため、角の屋根瓦の下には、木造の猿が御幣を担いだ姿で祀られています。この猿こそが、御所を災厄から守る「鬼門の守護猿」です。
- 名称: この北東角の切り込みと猿が祀られている場所は、古くから**「猿ヶ辻(さるがつじ)」**と呼ばれ、現在もその名で親しまれています。
この猿は、鬼門の反対側である南西(裏鬼門)を守る神獣が猿であることに由来するともいわれています。京都の人々が方角の力を信じ、知恵と工夫で災いを避けようとした歴史の証です。
💡 知っておきたい京都の歴史
「四神相応」という基準は、単なる迷信ではなく、当時の治水や軍事、生活環境を総合的に判断した理想の都市計画の思想であり、千年以上にわたる京都の安定を支えた基盤となりました。そして「鬼門の猿」は、細部に至るまで都を守ろうとした、人々の信仰と生活の知恵を今に伝える貴重な伝説です。

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