✨京の都の道しるべ:通りの名前に秘められた歴史ロマン✨#1049

京都の碁盤の目のような街並み。その通りの名前一つひとつには、平安京の設計、天皇の庭園、将軍の御所、そして豊臣秀吉による都市改造など、千年の都の歴史が秘められています。この記事では、烏丸通御池通室町通など、主要な通りの名前のロマンあふれる由来をご紹介します。由来を知れば、いつもの京都散策がより深く、楽しくなること間違いなしです!

この記事内容から抜粋した練習問題10問☆
  1. 現在の烏丸通は、平安京のどの小路に相当しますか。
  2. 烏丸通が応仁・文明の乱後に廃れた状態から繁栄を取り戻すきっかけとなった、歴史上の人物が行った大規模な事業は何ですか。
  3. 御池通りの名前の由来となった、平安京の禁苑として造営された広大な庭園は何ですか。
  4. 神泉苑の池(法成就池)が重要視された理由の一つとして、天皇が主宰した行事は何ですか。
  5. 室町通りに「花の御所」を造営し、通りの名を時代名とするきっかけを作った室町幕府の三代将軍は誰ですか。
  6. 車屋町通り・不明門通りの開通を促した、豊臣秀吉が行った京都の事業は何ですか。
  7. 車屋町通りが、姉小路通り~松原通の区間で断絶し、松原通より南が不明門通りと呼ばれるようになったのは、この通り沿いにあった寺の南側の門が普段は開けられなかったためですが、その門のあったとされる寺の名前は何ですか。
  8. 平安京で羅城門から朱雀門まで都を南北にまっすぐ貫いていた大通りは、何大路と呼ばれていましたか。
  9. 現在の千本通りは、かつての平安京の何大路に相当しますか。
  10. 出水通の名前の由来となった、かつてこの通りの近辺で見られた自然現象は何ですか。

☆回答は記事の最後にあります。

京都の碁盤の目のような街並みを歩いていると、何気ない通りの名にも歴史の重みを感じます。この記事では、京都の主要な通りがどのようにしてその名前になったのか、平安京の時代から豊臣秀吉の都市改造を経て今に至るまでのロマンをご紹介します。京都散策がもっと楽しくなる、通りの名前の豆知識です。


大通りに聞く京の歴史

🌟 烏丸通:平安京から蘇ったメインストリート

  • 平安京の「烏丸小路」に由来し、南北の主要な通りとして設計されました。
  • しかし、応仁・文明の乱で四条から南が荒廃してしまいます。
  • 現在の賑わいを取り戻したのは、豊臣秀吉による京都市街改造事業(天正の市街大改造)を待ってからです。
  • 現代では京都を代表するオフィス街・商業地として、京都駅前から北へと貫いています。

⛲ 御池通り:水にまつわる雅な記憶

  • 「御池(おいけ)」とは、もともと平安京の禁苑(天皇の庭園)として造営された「神泉苑(しんせんえん)」の池を指します。
  • 神泉苑は、東西は大宮大路から壬生大路、南北は二条から三条までの広大な範囲に広がり、自然の森や池沼を活かした設計でした。
  • 特に池(法成就池)は、天皇が主宰する降雨祈祷の場として重要視され、東寺の空海と西寺の守敏が呪力を競った逸話も残ります。
  • 神泉苑が時代と共に縮小し、その南の境を通っていた三条坊門小路が、やがて神泉苑の池にちなんで**「御池通り」**と呼ばれるようになったとされています(秀吉の改造事業後の命名という説もあります)。

🏯 室町通り:足利将軍の時代の始まり

  • 平安京の**「室町小路」**に相当する通りです。
  • こちらも応仁・文明の乱で南側が荒廃しましたが、秀吉の改造事業で復興を果たしました。
  • 通りの名が時代を象徴するようになったのは、室町幕府の三代将軍・足利義満が、この室町小路と北小路の東北に豪華な邸宅**「花の御所」**を造営してからです(1377年)。
  • この「花の御所」があったことから、将軍の時代が**「室町時代」**と呼ばれるようになりました。

歴史に翻弄された通りたち

🛤️ 車屋町通り・不明門通り:断絶された道と閉ざされた門

  • 東洞院通りの西側を並行して走る通りで、豊臣秀吉の市街大改造によって開通しました。
  • かつては丸太町から北へ出水通まで通じていましたが、1708年(宝永5年)の大火後の公家地の拡大により、一部区間(丸太町から北)は廃止されました。
  • さらに、姉小路通り~松原通の区間は現在も断絶しており、松原通から南の区間が**「不明門通り(あけずのもんどおり)」**という正式名称で残っています。
  • 「不明門(あけずのもん)」の名は、通りの南に位置する因幡堂・平等寺(因幡薬師堂)の南側にあった高倉天皇の屋敷に由来します。勅使が訪れる時以外は開けられなかった門があったことから、この名で呼ばれるようになりました。

🐉 朱雀大路:平安京を貫く王道

  • 平安京の正門である羅城門から、大内裏(天皇の住まいと役所)の正面に位置する朱雀門まで、都を南北に貫くメインストリートでした。
  • 現在、この朱雀大路にあたるのが、千本通りです。
  • 大路の両側には柳の木が植えられ、その管理のために4人の役人が任命されていたという記録が残っています。
  • 大内裏一帯が荒廃した後の承久年間(1219~22年)には、朱雀門のあった二条大路からさらに北へと延伸が可能になりました。

通りの名になった自然と水

💧 出水通(でみずどおり):湧き水あふれる道

  • 丸太町通りと中立売通りの間を通る東西路で、東側は大宮通から平安京の**「近衛大路」**に相当します。
  • 一説には、秀吉が築いた聚楽第(じゅらくだい)の南辺路だったとも言われています。
  • 通りの名の由来は、かつて烏丸通りの西側で湧き水があふれたことがあったことから「出水通」と呼ばれるようになったとされています。
  • 別名、近衛通とも呼ばれます。

💦 小川通(おがわどおり):西を流れる清流

  • この通りも秀吉の市街改造によって開通しました。
  • 通りの**西側を流れていた「小川」**が、そのまま通りの名前になったと伝えられています。

💡京都散策をもっと楽しむために

通りの名前の由来を知ると、何気ない道も違って見えてきます。かつて池があった場所、将軍の御所があった場所、そして大内裏へ続く大路。京都の歴史の奥深さを感じながら、ぜひ散策してみてください。

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この記事を書いた人
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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆
  1. 烏丸小路(からすまこうじ)
  2. 豊臣秀吉の京都市街改造事業(天正の市街大改造)
  3. 神泉苑(しんせんえん)
  4. 降雨祈祷(こううきとう)
  5. 足利義満(あしかがよしみつ)
  6. 天正京都市街大改造(てんしょうきょうとしかいだいかいぞう)
  7. 平等寺(びょうどうじ) または 因幡堂(いなばどう)
  8. 朱雀大路(すざくおおじ)
  9. 朱雀大路(すざくおおじ)
  10. 湧き水があふれたこと

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳