⛩️ 八坂神社を知る旅:祇園さんの創建と、災厄を逃れる「蘇民将来」の物語#1036
京都・祇園のランドマーク「八坂神社」は、地元で「祇園さん」として親しまれる古社です。強力な厄除け・疫病退散の神、素戔嗚尊が祀られており、その創建には、貧しい兄弟と旅の神様をめぐる感動的な「蘇民将来」の物語が深く関わっています。この物語を知れば、八坂神社の参拝がもっと深く、特別なものになるでしょう。祇園社の歴史と、災厄を逃れる信仰の力をご紹介します。
- 八坂神社の主祭神であり、疫病退散の神として信仰を集める神様の名前を答えなさい。
- 「蘇民将来之子孫也」という護符の由来となった伝説で、旅の神(素戔嗚尊)に一夜の宿を快く提供した貧しい兄の名前を答えなさい。
- 蘇民将来の伝説において、疫病が流行した際に災難を免れるために腰に着けるよう教えられたものを答えなさい。
- 八坂神社が明治元年(1868年)に改称されるまで、長きにわたり呼ばれていた社名のうち、「祇園さん」の名の由来にもなった社名を答えなさい。
- 蘇民将来の伝説で、旅の神(素戔嗚尊)が、一夜の宿を求めに来た際に、裕福であるにもかかわらず宿泊を拒否した弟の名前を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
京都・祇園のランドマーク「八坂神社」
京都東山の中心に鎮座し、「祇園さん」として古くから親しまれてきたのが八坂神社です。華やかな祇園の街を見守るこの神社の歴史を紐解くと、疫病を退ける力強い神様と、ある兄弟の物語が浮かび上がってきます。
ご祭神と神社の創設:素戔嗚尊と疫病回避の信仰
八坂神社に祀られている主祭神は**素戔嗚尊(すさのおのみこと)**です。素戔嗚尊は、古事記や日本書紀にも登場する荒々しくも強力な神で、厄除けや疫病退散の神として特に篤い信仰を集めてきました。

八坂神社の創建も、この素戔嗚尊の疫病回避の神としての御神徳に深く関わっています。
災厄を逃れる信仰:「蘇民将来」の物語
八坂神社の信仰の根幹には、「蘇民将来(そみんしょうらい)」という伝説があります。この物語は、疫病を逃れるためのご利益として、現代まで受け継がれています。
旅の神と二人の兄弟
旅をしていた素戔嗚尊(神)が、一夜の宿を求めました。
- 弟:巨旦将来(こたんしょうらい)
- 裕福だったにもかかわらず、神の宿泊を拒否しました。
- 兄:蘇民将来(そみんしょうらい)
- 貧しい暮らしをしていたにもかかわらず、神を快く泊めて、丁寧にもてなしました。
茅の輪と安穏の約束
神は翌年、蘇民の家を再訪しました。そして、蘇民の妻と娘の腰に**茅の輪(ちのわ)**を着けさせました。
その晩のうちに、蘇民一家以外の人々は疫病によって亡くなってしまいました。
素戔嗚尊の教え
神は「われは素戔嗚尊である」と名乗り、こう教えました。
疫病が流行した時には「蘇民将来の子孫である」と名乗り、腰に茅の輪を着けることで、災難を免れることができる。
そして、神は姿を消しました。
現代に伝わる「護符」
この故事に基づき、八坂神社(やその関連の神社)では、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記された護符(お守り)を身に付けたり、門口に貼ったりすることで、家族の安穏(あんのん)と疫病退散を祈る風習があります。
神社の名称の変遷
神社の名称は時代とともに変化しました。
- 創設時より長らく:感神院(かんじんいん) や 祇園社(ぎおんしゃ) と呼ばれていました。
- この「祇園社」の名称が、現在も周辺地域が「祇園」と呼ばれる由来となっています。
- 近代:明治元年(1868年) に現在の「八坂神社」と改称されました。
八坂神社は、疫病を打ち破る強い信仰心と、旅人を親切にもてなした蘇民将来の心を受け継ぐ、由緒ある古社なのです。

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- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
- 蘇民将来(そみんしょうらい)
- 茅の輪(ちのわ)
- 祇園社(ぎおんしゃ)
- 巨旦将来(こたんしょうらい)


