🌸時代を超える美しさ:京都・平安神宮の歴史と参拝ガイド#1030
京都のシンボル、鮮やかな朱色の平安神宮。実は明治時代に創建された比較的新しい神社です。この記事では、創建の背景にある京都人の熱意、そして平安京の大内裏を模した壮麗な社殿の魅力を深掘りします。参拝前に知っておきたい歴史をチェックして、より深い京都観光を楽しみましょう。
- 平安神宮が創建されたのは西暦何年ですか。
- 平安神宮の創建は、平安京の遷都から何年を記念する「紀年祭」の主会場として計画されましたか。
- 平安神宮の初代祭神は、平安京を築いたとされるどの天皇ですか。
- 平安神宮の社殿は、平安京の政治の中心であった「大内裏」の正庁、別名「八省院」とも呼ばれる何という建物を模して造られましたか。
- 平安神宮の創建のきっかけの一つとなった、明治28年(1895年)に京都で開催された政府主催の博覧会の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都のシンボルともいえる平安神宮。鮮やかな朱色の社殿は、訪れる人の心を奪います。
一見すると古都の長い歴史の中に埋もれているように思えますが、実は明治時代に創建された比較的新しい神社です。
この記事では、その創建の背景から社殿に秘められた意味まで、平安神宮の魅力を深掘りします。
創建の背景:平安京への思いと京都の熱意
平安神宮は、明治28年(1895年)に、平安遷都(せんとの儀式である奠都:てんと)から1100年を記念する紀年祭の主会場として創建されました。
この創建には、当時の京都人の強い郷土愛と熱意が込められています。
- 祭神: 初代祭神は、平安京を築いた桓武天皇。昭和15年には、京都復興に尽力した孝明天皇が合祀(ごうし)されました。
- 創建のきっかけ: 明治時代、都が東京に移ったことで衰退しつつあった京都の活気を取り戻すため、京都商工会議所などが政府主催の第4回内国勧業博覧会を京都に誘致する運動を展開。これと並行して、平安奠都1100年の紀年祭の施設を博覧会の隣に建設する計画が立てられました。
- 京都人の尽力:内貴甚三郎(ないきじんざぶろう)(のちの初代京都市長)を委員長とする紀年祭委員会が発足。奈良の橿原神宮の創建にも刺激を受け、平安神宮の創建へと繋がりました。近衛篤麿(あつまろ)、佐野常民(つねたみ)ら当時の各界の有力者も、協賛会の設立に尽力しました。
社殿の魅力:よみがえる平安京の大内裏
平安神宮の社殿は、単なる神社建築ではありません。それは、平安京のシンボルであった「大内裏(だいだいり)」の正庁を復元したものなのです。
- 復元された場所: 平安京の正庁である朝堂院(ちょうどういん)を、創建当時の技術とスペースの制約から8分の5の規模で模して造られました。朝堂院は別名「八省院」とも呼ばれ、政治の中心地でした。
- 応天門(おうてんもん): 正面の鮮やかな朱色の二層の楼門は、朝堂院の正門であった「応天門」を模しています。
- 大極殿(だいごくでん): 拝殿にあたる部分は、朝堂院の正殿であった「大極殿」を模して造られています。この大極殿こそが、天皇の即位式など国家の重要な儀式が行われた場所です。
広大な境内と、平安京を彷彿とさせる壮麗な社殿は、訪れる人々に当時の都の威容を感じさせてくれます。
知っておきたい豆知識:博覧会との深い関わり
平安神宮は、内国勧業博覧会の隣に紀年祭の施設として作られ、その博覧会が閉幕した後、そのまま神社の社殿として利用されることになりました。
現在、平安神宮から南に広がる岡崎公園一帯が、当時の博覧会会場だった場所です。
平安神宮の創建は、単なる歴史の再現ではなく、近代における京都の再興のシンボルでもあったと言えるでしょう。
【今回の記事のまとめ】
- 平安神宮は明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して創建。
- 祭神は桓武天皇、のちに孝明天皇が合祀。
- 社殿は平安京の朝堂院(応天門・大極殿)を模したもの。
- 第4回内国勧業博覧会と連携し、京都の復興を期して計画された。

平安神宮を訪れる際は、この壮大な歴史のドラマを思い出しながら、悠久の平安京の気配を感じてみてください。

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- 明治28年(1895年)
- 1100年
- 桓武天皇(かんむてんのう)
- 朝堂院(ちょうどういん)
- 第4回内国勧業博覧会(だい4かい ないこくかんぎょうはくらんかい)


