⛩️ 【京都検定必勝!】世界遺産「宇治上神社」徹底解説:歴史・由来・魅力を完全網羅#1016

京都検定合格を目指す方必見! 世界遺産「宇治上神社」の歴史・由来・魅力を完全網羅。本殿は日本最古の神社建築であり、古の皇太子が築いた離宮の旧跡です。

この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
  1. 宇治上神社の本殿は、日本に現存する神社建築の中で、どのような特徴を持っていますか。
  2. 明治維新まで、宇治上神社は隣接する宇治神社と一体の神社として、何と呼ばれていましたか。
  3. 宇治上神社が「宇治離宮明神」と呼ばれていた時代、宇治上神社自体はどのような通称で呼ばれていましたか。
  4. 宇治上神社の名の由来とされる、応神天皇の皇太子・菟道稚郎子の離宮の旧跡は、何という名で伝えられていますか。
  5. 宇治上神社の境内に湧き出しており、宇治七名水の中で唯一現存する名水は何ですか。

☆回答は記事の最後にあります。

分離前の名称や、唯一現存する名水「桐原水」など、試験で問われる重要ポイントをまとめて解説します。

✨ 日本最古の現存建築!世界遺産「宇治上神社」とは?

宇治上神社(うじがみじんじゃ)は、京都府宇治市、宇治橋の東方、自然豊かな仏徳山(ぶっとくさん)の麓に鎮座する古社です。

1994年に「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録され、その本殿は日本に現存する最古の神社建築として国宝に指定されています。


📜 歴史と名前の由来:離宮上社から宇治上神社へ

🔹 「宇治離宮明神」としての一体性

  • 明治維新以前:隣接する宇治神社とは一体の神社であり、「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」と呼ばれていました。
  • 宇治上神社は当時「離宮上社(りきゅうかみしゃ)」、宇治神社は「下離宮(しものりきゅう)」と呼ばれ、文字通り一つの離宮を起源とする上下の社でした。
  • 分離の経緯:現在の形に分離したのは明治維新の後です。

🔹 名前のルーツは皇太子の離宮

  • 神社の名前の由来は、古くこの地が応神天皇(おうじんてんのう)の皇太子であった**菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)**の離宮だったという伝承にあります。
  • この離宮は「桐原日桁宮(きりはらのひけたのみや)」と呼ばれており、宇治上神社はその旧跡に建てられたと伝えられています。

💧 境内の隠れたパワースポット:「桐原水」

  • 宇治上神社の境内には、伝説の離宮名が冠された「桐原水(きりはらみず)」が今も湧き出しています。
  • これは**宇治七名水(うじななめいすい)**の中で、唯一現存している名水とされています。

✅ 受験対策ワンポイントまとめ

項目ポイント
所在地宇治橋の東方、仏徳山の麓
建築の特徴本殿は日本最古の現存神社建築(国宝)
世界遺産1994年登録(古都京都の文化財)
旧称離宮上社
分離の時期明治維新のあと
名の由来応神天皇の皇太子 菟道稚郎子の離宮 桐原日桁宮の旧跡
境内名水桐原水(宇治七名水で唯一現存)

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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆
  1. 日本最古の現存する神社建築(または:日本最古の神社建築)
  2. 宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)
  3. 離宮上社(りきゅうかみしゃ)
  4. 桐原日桁宮(きりはらのひけたのみや)
  5. 桐原水(きりはらみず)

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳