⛩️ 京都検定対策にも!新熊野神社を深掘り【熊野の神を勧請した御所守護の古社】#1015
京都検定の頻出ポイント満載!後白河法皇が熊野から勧請した「新熊野神社」を徹底解説。法住寺殿の守護社としての歴史、樹齢800年の大楠、そして足利義満が観阿弥・世阿弥の能を激賞した能楽史上の一大エピソードまで、受験対策にも役立つ情報をまとめています。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 新熊野神社を創建し、自身の御所である法住寺殿の守護神とした法皇は誰か答えなさい。
- 新熊野神社が熊野から勧請された際、材木や石、砂まですべて運ばれたとされる、樹齢800年を超えるご神木は何の木か答えなさい。
- 新熊野神社の境内で演能を行い、室町幕府三代将軍・足利義満に激賞され、その後の能楽発展の礎を築いた親子(一座)の名前を答えなさい。
- 新熊野神社は、誰の御所であった法住寺殿の守護社として創建されたか答えなさい。
- 観阿弥・世阿弥の演能を激賞し、観世座発展の大きな転機をもたらした室町幕府の将軍は誰か答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の数ある社寺の中でも、歴史的に重要な役割を果たしながらも、比較的落ち着いた雰囲気を持つ新熊野神社(いまくまのじんじゃ)。
ここは、京都検定の頻出ポイントも詰まった、知れば知るほど奥深い場所です。受験対策の備忘録として、また、京都の歴史に触れる旅のヒントとして、その魅力をまとめてみましょう!
目次
💡 ポイント1:創建と歴史 — 後白河法皇と法住寺殿の守護神
新熊野神社の最も重要な歴史的背景は、その創建にあります。
- 後白河法皇(ごしらかわほうおう)が深く関与:新熊野神社は、平安時代末期に後白河法皇が紀伊国(現在の和歌山県)の熊野権現を勧請して創建した社です。
- 「材木、石、砂まですべて熊野から運ぶ」という徹底ぶり:法皇が熊野を篤く信仰していたこと、そして神社の重要性がうかがえます。
- 法住寺殿の守護社としての役割:法皇の御所であった**法住寺殿(ほうじゅうじどの)**の守護神として祀られました。当初の社域は、現在の数倍の広さを持っていたとされています。
🌳 ポイント2:ご神木と境内 — 樹齢八百年の大楠
境内には、新熊野神社の歴史を見守り続けてきた象徴的な存在があります。
- ご神木の「クスノキ」:法皇が熊野から勧請した際に、熊野から運ばれてきたとされるクスノキが、現在も境内に堂々とそびえ立っています。
- 樹齢は800年を超える:悠久の歴史を感じさせる巨木は、参拝者に安らぎを与えています。
🎭 ポイント3:能楽の歴史を彩った舞台
京都検定でも出題される可能性のある、能楽史における重要なエピソードが新熊野神社で生まれました。
- 観阿弥・世阿弥の演能:室町時代初期の応安7年・文中3年(1374年)に、この新熊野神社の境内で、能の大成者である**観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)**親子による演能が行われました。
- 足利義満の激賞:この演能を室町幕府の三代将軍である**足利義満(あしかがよしみつ)**が見物し、特に若い世阿弥の能を激賞したと伝えられています。
- 「観世座」発展の転機:この義満の庇護を受けるきっかけとなった出来事により、観阿弥・世阿弥が率いる**観世座(かんぜざ)**は大きく発展し、能楽の地位向上に繋がりました。
📚 まとめと京都検定受験のポイント
新熊野神社について覚えるべき主要な情報は以下の3点です。
- 誰が?:後白河法皇(法住寺殿の守護神として)
- 何が有名?:樹齢800年の大楠(熊野から運ばれたもの)
- 歴史的出来事?:観阿弥・世阿弥の演能を足利義満が見物し、能楽発展の礎となった。

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前述の練習問題の解答☆
- 後白河法皇(ごしらかわほうおう)
- クスノキ(楠)
- 観阿弥・世阿弥(観世座)
- 後白河法皇
- 足利義満(あしかがよしみつ)


