🏯【京都検定対策】知っておきたい!京都の歴史を彩る「お城」の物語#1010
この記事では、京都検定の受験対策にも役立つ、京都の主要な城である二条城、伏見城、淀城の歴史とエピソードを分かりやすく解説します。これから京都検定を目指す方の備忘録としてもご活用ください。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築城したお城の名称は何ですか。
- 織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭のために築いた建物も、かつては何と呼ばれていましたか。
- 豊臣秀吉の愛妾である茶々(淀殿)が、世継ぎの鶴松を産んだ場所として知られるお城の名称は何ですか。
- 茶々(淀殿)の産所として使われた後、衰退し、その役割が伏見城に移ったお城の名称は何ですか。
- 淀城で茶々(淀殿)が鶴松を産んだのは、西暦何年(または元号)のことですか。
☆回答は記事の最後にあります。
この記事では、京都検定の受験対策にも役立つ、京都の主要な城である二条城、伏見城、淀城の歴史とエピソードを分かりやすく解説します。これから京都検定を目指す方の備忘録としてもご活用ください。
目次
1. 徳川家康の威信を示す「二条城」
京都で最も有名なお城の一つが二条城です。
- 築城者と背景徳川幕府の初代将軍である徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築城しました。
- 歴史の断片実は、二条城と呼ばれる建物は時代によって異なっています。
- 特に、織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭のために建てた建物も「二条城」と呼ばれていた時期があり、混同されやすい点です。
2. 豊臣秀吉の最晩年を飾った「伏見城」
伏見城は、豊臣秀吉の最晩年における重要な居城でした。
- 築城の経緯豊臣秀吉の側室である茶々(淀殿)が、秀吉の世継ぎである鶴松を産んだ後、それまで茶々の産所となっていた淀城が衰退します。
- 文禄3年(1594年)から、淀城に替わる拠点として本格的な建設が始まり、役割が伏見城に移りました。
- 歴史的役割秀吉の死の地となり、関ヶ原の戦いの前哨戦でも重要な舞台となった城です。
3. 秀吉が愛妾のために築いた「淀城」
現在の京都市伏見区淀付近にあった淀城は、豊臣秀吉と茶々(淀殿)にとって深い関わりを持つ城でした。
- 本能寺の変後の混乱と秀吉本能寺の変の後、一時的に明智光秀に接収されます。
- 山崎の戦いで光秀を破った豊臣秀吉は淀城を手に入れました。
- 茶々(淀殿)の産所秀吉は、愛妾の**茶々(淀殿)**の産所としてこの城を用いました。
- 茶々が淀城で鶴松を産んだのは**天正17年(1589年)**のことです。この鶴松の誕生は、秀吉にとって待望の世継ぎ誕生であり、淀城の歴史的価値を高めました。
まとめ:京都のお城のポイント整理
| お城の名称 | 築城に関わった主な人物 | 重要なエピソード |
| 二条城 | 徳川家康 | 徳川将軍家の京都での居城。信長が義昭のために建てた二条城とは別物。 |
| 伏見城 | 豊臣秀吉 | 秀吉の晩年の居城。衰退した淀城に替わって築かれた。 |
| 淀城 | 豊臣秀吉 | 茶々(淀殿)の産所となり、鶴松が誕生した場所。本能寺の変後の一時的な接収も。 |
これで、京都検定の頻出テーマである「京都のお城」について、重要な人物や出来事と関連付けながら覚えることができるでしょう。
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- 二条城
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- 天正17年(1589年)