🏯【京都検定対策】「は行」の重要寺院を攻略!平等院・補陀洛寺・毘沙門堂の歴史と見どころ#1003
京都検定の受験者必見!「は行」の重要寺院、平等院、補陀洛寺、毘沙門堂について、その歴史、創建者、重要ポイントを徹底整理しました。これから目指す方のための備忘録として、一問一答形式の練習問題付きで効率的な学習をサポートします。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 平等院の前身となった別荘「宇治院」を所有し、「河原左大臣」とも称された平安時代の貴族は誰か。
- 平等院の阿弥陀堂が建立された年(西暦)と、その阿弥陀堂に安置されている阿弥陀如来像の作者名を記せ。
- 現在の平等院の基礎を築くため、父の別荘を仏寺に改めた関白の名前を記せ。
- 補陀洛寺が「小町寺」とも呼ばれるのは、境内に誰の墓と伝わるものがあるからか。
- 山科にある毘沙門堂が門跡寺院となったきっかけは、どの天皇の皇子である公弁法親王の入寺によるものか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都検定の受験を控えている皆さん、お疲れ様です!覚えるべき寺社仏閣が多くて大変ですよね。この記事では、特に重要な「は行」の寺院、平等院(びょうどういん)、補陀洛寺(ふだらくじ)、**毘沙門堂(びしゃもんどう)**について、検定対策として押さえておきたいポイントを整理しました。
これから京都検定を目指す方のための備忘録として、ぜひ活用してください!
🐲 平等院(びょうどういん)
誰もが知る世界遺産ですが、その成り立ちには検定で問われる重要な歴史があります。
- 所在地: 宇治橋の上流、宇治川の左岸に位置します。
- 前身:
- 元々は**左大臣 源融(みなもとのとおる)の別荘「宇治院」**があった場所です。
- 源融は、この他に嵯峨の棲霞観(せいかかん)や鴨川右岸の河原院も所有していたことから、**「河原左大臣」**と称されました。
- 宇治院は、源重信の未亡人を経て、長徳年間(995~999年)に藤原道長の所有となります。
- 開創:
- 道長の子、**藤原頼道(よりみち/関白)が、父の別荘「宇治殿」を永承7年(1052年)**に仏寺に改めたのが始まりです。
- 道長は万寿4年(1027年)に亡くなっています。
- 伽藍(がらん):
- 寺として開創された当初は、東向きの大日如来を安置した本堂がありましたが、これは失われています。
- 阿弥陀堂が**天喜元年(1053年)に建立されました。これが現在鳳凰堂(ほうおうどう)**と呼ばれている建物です。
- 鳳凰堂には、定朝(じょうちょう)作の丈六(じょうろく)の阿弥陀如来像が安置されています。
- 阿弥陀堂の建立後、法華堂、多宝堂、五大堂、経蔵、不動堂、護摩堂、円堂などが次々と建てられ、頼道のあとを継いだ**師実(もろざね)・忠実(ただざね)**といった藤原氏によって伽藍が増築されました。
🌺 補陀洛寺(ふだらくじ)
小野小町ゆかりの寺として知られています。
- 所在地: **左京区静市(しずいち)**にあります。
- 前身:
- 元は、静原にあった清原深養父(きよはらのふかやぶ)の山荘が寺となったのが始まりです。
- その後、静市の寺が補陀洛寺の名跡を継ぎました。
- 別称:
- 境内にゆかりの**小野小町(おののこまち)の墓と言われる墓があることから、「小町寺(こまちでら)」**とも呼ばれています。
🍁 毘沙門堂(びしゃもんどう)
山科にある、皇族ゆかりの格の高い寺院です。
- 所在地: 山科(やましな)の**安朱(あんしゅ)**にあります。
- 寺格:
- **後西天皇(ごさいてんのう)の皇子である公弁法親王(こうべんほっしんのう)**の入寺によって、**門跡寺院(もんぜきじいん)**となりました。
- 門跡寺院とは、皇族や摂関家(せっかんけ)の子弟が住職を務める、格式の高い寺院のことです。
これらの寺院は、京都の歴史を語る上で欠かせない重要なスポットです。名称だけでなく、**「誰が」「いつ」「何のために」建てたのか、そして「現在地と前身の場所」**をセットで覚えるようにしましょう。

あわせて読みたい記事
おすすめの書籍
リンク

今回のブログ記事前後の関連記事
前述の練習問題の解答☆
- 源融(みなもとのとおる)
- 西暦:1053年、作者名:定朝(じょうちょう)
- 藤原頼道(ふじわらのよりみち)
- 小野小町(おののこまち)
- 後西天皇(ごさいてんのう)

