【備忘録】「大徳寺とその塔頭」完全理解!小堀遠州の茶室から森鴎外の小説まで#996
京都検定の重要エリア「大徳寺とその塔頭」を徹底解説!
この記事内容から抜粋した練習問題10問☆
- 大徳寺を正和4年(1315年)に紫野に創建した開山の僧の名前を答えなさい。
- 大徳寺の創建に際し、開山の宗峰妙超の帰依を受けた人物(武士)は誰か答えなさい。
- 大徳寺の塔頭である弧蓬庵にある、重要文化財に指定されている茶室の名前を答えなさい。
- 弧蓬庵の茶室「忘筌」の前にある、つぼ型で「露結」の二字が刻まれた手水鉢の作者は誰か答えなさい。
- 大徳寺の塔頭である高桐院を、父・幽斎の菩提所として慶長6年(1601年)に創建した人物の名前を答えなさい。
- 森鴎外の小説『興津弥五右衛門の遺書』で知られる興津弥五右衛門の墓がある大徳寺の塔頭はどこか答えなさい。
- 永正6年(1509年)に六角政頼が創建し、子の古嶽宗亘を開山とした大徳寺の塔頭はどこか答えなさい。
- 大徳寺の塔頭の一つ、龍光院を創建した戦国武将の名前を答えなさい。
- 龍光院にある、中国の僧・密庵咸傑の名にちなむ国宝指定の書院の名前を答えなさい。
- 弧蓬庵の前身とされる小庵を、慶長17年(1612年)に龍光院内に建てた人物の名前を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
臨済宗の大本山である大徳寺の歴史から、細川忠興ゆかりの高桐院、国宝の密庵を持つ龍光院、小堀遠州の茶室「忘筌」など、必修のポイントを網羅した受験生必見の備忘録です。
目次
🏯 大徳寺:臨済宗大徳寺派の大本山
- 創建と寺格
- 正和4年(1315年)、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が赤松則村(あかまつのりむら)の帰依を受けて紫野に創建した臨済宗の禅寺です。
- 臨済宗大徳寺派の大本山です。
- 後醍醐天皇により、京都五山の上に列する寺格を得ました。
- 重要塔頭 弧蓬庵(こほうあん)
- 大徳寺の塔頭の一つである弧蓬庵には、茶室「忘筌(ぼうせん)」(重要文化財)があります。
- 忘筌の前には、小堀遠州作の手水鉢があり、「露結」の二字が正面に刻まれています。この手水鉢はつぼ型をしています。
- 💡 【補足】弧蓬庵の前身は、龍光院に小堀遠州が建てた小庵でした(約30年で現在地に移転)。龍光院の項も参照。
🌳 高桐院(こうとういん):細川忠興の菩提所
- 創建
- 大徳寺の塔頭の一つで、細川忠興(ほそかわただおき・三斎)が、父である細川幽斎(ゆうさい)の菩提所として**慶長6年(1601年)**に建てました。
- 開山は、幽斎の弟で忠興の叔父にあたる**玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)**です。
- 墓所・文学との関連
- 細川忠興の歯を埋めた墓標があります。
- 忠興の三回忌に殉死した興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の墓があります。
- この出来事は、森鴎外の小説**「興津弥五右衛門の遺書」**の題材となりました。
🧘 大仙院(だいせんいん):古嶽宗亘が開山
- 創建
- 大徳寺の塔頭の一つです。
- 六角政頼(ろっかくまさより)が、子の古嶽宗亘(こがくそうこう)を開山として**永正6年(1509年)**に創建しました。
🐉 龍光院(りょうこういん):国宝の書院と茶室を持つ塔頭
- 創建と開山
- 大徳寺の塔頭の一つです。
- 創建は**黒田長政(くろだながまさ)**です。
- 開山は**江月宗玩(こうげつそうがん)**です。
- 茶室と書院
- 書院には国宝指定の**密庵(みったん)があります。茶室名の密庵は、中国の僧である密庵咸傑(みったんかんけつ)**の名にちなんでいます。
- 所蔵されている墨跡も国宝に指定されています。
- 忘筌(ぼうせん)との関連
- 慶長17年(1612年)、小堀遠州政一が龍光院内に小庵を建てました。これが、後の弧蓬庵の前身となりました(約30年後に現在地へ移転)。
- 再建
- 完成から5年後の1793年に焼失しましたが、**松平治郷(まつだいらはるさと)**によって再建されました。
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前述の練習問題の解答☆
- 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)
- 赤松則村(あかまつのりむら)
- 忘筌(ぼうせん)
- 小堀遠州(こぼりえんしゅう)
- 細川忠興(ほそかわただおき) または 細川三斎(ほそかわさんさい)
- 高桐院(こうとういん)
- 大仙院(だいせんいん)
- 黒田長政(くろだながまさ)
- 密庵(みったん)
- 小堀遠州政一(こぼりえんしゅうまさかず)