🏯清水寺とその塔頭:歴史と文化の宝庫#985
京都検定の受験対策として、清水寺とその塔頭である成就院の歴史と文化を徹底解説。創建の経緯、本尊、そして庭園「月の庭」の秘密まで、必須知識を整理しました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 清水寺の本尊となっている仏様は何か。
- 清水寺の開創に際し、奈良の僧侶・延鎮(賢心)に協力したとされる人物は誰か。
- 平安京建設当初、清水寺は都で唯一の私寺でしたが、当時どの寺院に属さなければならなかったか。
- 清水寺の塔頭である成就院の庭園「月の庭」は、音羽山を借景とする何式の庭園か。
- 清水寺の再興に多大な援助をした、江戸幕府第3代将軍は誰か。
☆回答は記事の最後にあります。
これから受験を目指す方のための備忘録としても活用できる、読みやすいコンテンツです。
Ⅰ. 清水寺の概要と歴史
- 西国三十三所:清水寺は、西国三十三所観音霊場の第17番札所です。
- 本尊:十一面観音を本尊としています。
- 開創:その起こりは**宝亀9年(778年)**に遡ります。奈良の僧侶・**延鎮(賢心)**が観音の夢告を受け、音羽山の麓に観音堂を建てる決意を固めたことに始まります。
- 創建の功労者:延鎮を助け、仏殿の建設に助力したのは坂上田村麻呂です。仏殿は**延暦17年(798年)**に完成しました。
- 再興:**寛永6年(1629年)**に、ほとんどの堂宇が焼失しましたが、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の援助により本堂などが再興されました。
- 境外の仏像:境内から離れた大日堂には大日如来が祀られています。
Ⅱ. 清水寺を支えた霊水と政治的背景
- 音羽の滝(金色延命水):この滝の水は金色延命水と呼ばれています。『清水寺縁起』によると、奈良の僧侶・賢心(のちの延鎮上人)が観音様のお告げで霊水を求めた結果、山城の国でこの音羽の滝に出会ったとされています。
- 私寺としての地位:清水寺は、平安京建設当初に桓武天皇に建立を許された、都でただ一つの私寺でした。
- 興福寺との関係:しかし、その清水寺でさえ、当時は奈良の興福寺に属さなければなりませんでした。このため、清水寺は、奈良の**南都(興福寺)と比叡山の北嶺(延暦寺)**との勢力争いに巻き込まれ、翻弄されるのが宿命でした。
Ⅲ. 塔頭 成就院(じょうじゅいん)
- 塔頭とは:成就院は清水寺のもともとの本坊(中心となる寺務所)であり、清水寺の塔頭の一つです。
- 勅願寺へ:永正7年(1510年)に後柏原天皇の勅願寺(天皇の命で国家安泰などを祈願する寺)となりました。
- 再建と功労者:寛永6年(1629年)の類焼後、東福門院(徳川秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)の援助により寛永16年(1639年)に再建されました。(成就院の創建者は願阿上人とされています。)
- 本尊:十一面千手観音菩薩像を本尊とします。
- 幕末の住職:幕末には、勤王僧として知られる月照・信海の兄妹が住職を務めました。
Ⅳ. 成就院の庭園:月の庭
- 庭園の概要:成就院の庭園は「月の庭」として知られ、音羽山を借景とする池泉観賞式庭園です。
- 作庭:相阿弥が作庭し、小堀遠州が補修したとされますが、連歌師の松永貞徳の作とする説などもあります。
- 特徴と名勝:国の名勝に指定されており、池と中島の組み合わせ、築山や橋などの装飾が特徴です。
- 主な石造物:庭園には、誰が袖(たがそで)の手水鉢、鳥帽子岩(えぼしいわ)、蜻蛉(かげろう)、手毬(てまり)灯籠などが置かれています。
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