⛩️ 建仁寺とその塔頭#983
京都検定受験を目指す方へ!京都五山第三位・建仁寺と塔頭の両足院について徹底解説。栄西による創建、国宝『風神雷神図屏風』、そして知られざる勅使門の伝承まで、必携の知識をまとめました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
以下の設問に対し、漢字または人名で答えなさい。
- 建仁2年(1202年)に建仁寺を開創し、日本に臨済宗を広めた人物は誰ですか。
- 建仁寺を官寺とした天皇は誰ですか。
- 建仁寺が所蔵する国宝『風神雷神図屏風』の作者で、琳派の象徴的な作品を残した人物は誰ですか。
- 安国寺恵瓊によって寄進され、平家の六波羅屋敷の遺構とも伝えられる建仁寺の勅使門の通称は何ですか。
- 建仁寺の塔頭である両足院の開基(開山)とされ、かつて元に渡って修行をした僧侶は誰ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
建仁寺は、京都五山第三位に列せられる格式高い禅寺です。
目次
🏯 建仁寺(けんにんじ)の概要
- 創建と開基:
- **建仁2年(1202年)**に、**栄西(えいさい)**が開きました。
- 栄西は備中の吉備津(きびつ)の出身で、日本における臨済宗の開祖として知られています。
- 創建にあたっては、**源頼家(みなもとのよりいえ)**らの援助を受けました。
- その後、**土御門天皇(つちみかどてんのう)によって官寺(かんじ)**とされました。
- 著名な文化財:
- 国宝の**『風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)』(原本は京都国立博物館に寄託)が非常に有名です。これは俵屋宗達(たわらやそうたつ)**の作で、**琳派(りんぱ)**の象徴的な作品とされています。
- 勅使門(ちょくしもん)の通称と伝承:
- 勅使門は、安芸(あき)の安国寺(あんこくじ)の方丈を移築したもので、戦国武将・僧侶の**安国寺恵瓊(あんこくじえけい)**によって寄進されたと伝えられています。
- 門に矢を射られた跡があることから、**「矢の根門(やのねもん)」**という通称があります。
- この門は、かつて平家(へいけ)の六波羅(ろくはら)屋敷の遺構であるとも伝えられており、六波羅探題(ろくはらたんだい)の北方の門であったという説もあります。

💡 建仁寺の主要な塔頭:両足院(りょうそくいん)
建仁寺には多くの塔頭(たっちゅう:大寺の敷地内や近くにある小寺院)がありますが、その一つが両足院です。
🔰 両足院(りょうそくいん)の歴史
- 開基:
- 両足院の実質的な開基は、**龍山徳見(りょうざんとっけん)の法嗣(ほっし:後継者)である文林(ぶんりん)**です。
- 文林が、師である龍山徳見を**開山(開基)**として両足院を興しました。
- 龍山徳見について:
- 徳見は**嘉元3年(1305年)に元(げん)に渡って修行を積み、帰国後に知足院(ちそくいん)**を興しました。
- **正平13年・延文3年(1358年)**に亡くなり、知足院に埋葬されています。
- その他の特筆すべき点:
- 江戸時代に**朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)で活躍した貿易家・末次平蔵(すえつぐへいぞう)**父子らの墓があります。
📝 京都検定受験のポイント
- 建仁寺の創建年(1202年)と開祖(栄西)は必ず覚えましょう。
- 俵屋宗達の『風神雷神図屏風』と建仁寺の関連性も重要です。
- 勅使門の通称「矢の根門」や、六波羅屋敷の遺構という伝承も出題される可能性があります。
- 塔頭では、両足院の開基である龍山徳見や、末次平蔵の墓がある点も押さえておくと良いでしょう。

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前述の練習問題の解答☆
| No. | 回答 |
| 1 | 栄西(えいさい) |
| 2 | 土御門天皇(つちみかどてんのう) |
| 3 | 俵屋宗達(たわらやそうたつ) |
| 4 | 矢の根門(やのねもん) |
| 5 | 龍山徳見(りょうざんとっけん) |


