📚これから京都検定を目指す人へ!【京都の史跡】備忘録📝#977
京都検定の受験を目指す方へ!主要な史跡「鴻臚館」と「落柿舎」について、由来や所在地、関連人物などの必須情報を分かりやすく整理しました。これから学習を始める方の備忘録・導入としてご活用ください。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 平安時代、外国使節の接待・歓迎に使われた施設で、「鴻臚寺」という中国の役所に由来する名称を持つ史跡は何ですか。
- 鴻臚館が当初設置されていた場所は、平安京のどこでしたか。(通称の門の名称を用いて答えてください。)
- 嵯峨野小倉山麓にある俳人・向井去来の閑居跡で、松尾芭蕉も訪れたことで知られる史跡は何ですか。
- 落柿舎という名称の由来となった、庭に多く植えられていた植物は何ですか。
- 鴻臚館を設置し、日本で外国使節に関することを管轄していた役所(官司)の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都検定の学習に役立つ、主要な史跡のポイントをまとめました。特に、名称や由来、関連人物、所在地などの基本情報はしっかり押さえましょう!
🏯 鴻臚館(こうろかん)
- 【概要】 平安時代に、外国使節の接待・歓迎に使用された施設です。
- 【名称の由来】 中国で外交をつかさどった役所である鴻臚寺(こうろじ)に由来します。
- 【設置】
- 日本で外国使節に関することを管轄する**玄蕃寮(げんばりょう)**によって設置されました。
- 【所在地・変遷】
- 当初は羅城門の東西にありました。
- 後に東寺と西寺が建てられたため、朱雀大路(すざくおおじ)七条大路の地点に移転しました。
- 現在、東鴻臚館の故地を示す石碑が、島原にある「角屋もてなしの文化美術館」の北に立っています。
- 【備考】
- 京都(平安京)以外に、大宰府と**難波(なにわ)**にも鴻臚館がありました。
- (※講道館:東京の柔道場で、嘉納治五郎が明治15年(1882年)に設立したもの。鴻臚館とは無関係ですが、名称が似ているため混同に注意。)
🍂 落柿舎(らくししゃ)
- 【概要】嵯峨野小倉山麓にある、江戸時代の著名な俳人・向井去来(むかいきょらい)の閑居跡です。
- 【所在地・来歴】
- 元禄年間(1688年頃〜)に、去来が嵯峨で古家を買い、隠居所としたものです。(去来自身の住まいは聖護院村でした。)
- 昭和7年(1932年)に再興されました。
- 【名前の由来】
- 敷地内に40本ほどの柿木があり、商人が柿を買いに来た夜に、たくさんの柿の実が一夜で落ちてしまったという逸話にちなみます。
- 【歴史的意義】
- 俳諧を好む人なら誰でも出入りできる道場のような役割も果たしていました。
- 去来に招かれた松尾芭蕉が、**元禄4年(1691年)**にここを訪れました。
- 【現在】
- 庭には、高浜虚子や山鹿柏年(やまがはくねん)の句碑があります。
- 少し離れた裏に、去来の墓が立っています。

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前述の練習問題の解答☆
- 鴻臚館(こうろかん)
- 羅城門(らじょうもん)の東西
- 落柿舎(らくししゃ)
- 柿(かき)
- 玄蕃寮(げんばりょう)

