🛶【京都検定対策にも】雅な舟遊びを再現!「三船祭」徹底解説メモ#973
京の雅を今に伝える「三船祭」。平安時代の天皇の舟遊びを再現した、車折神社の華やかな祭礼です。京都検定の頻出テーマでもある三船祭の起源や、白河天皇、足利尊氏にまつわるエピソード、祭りのハイライトである扇流しまで、受験対策に役立つ重要ポイントを徹底解説します。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 三船祭を主催している京都市右京区の神社名を答えなさい。
- 三船祭が開催されるのは、毎年何月の第何曜日ですか。
- 三船祭の起源となった舟遊びを行ったとされる天皇と、その時の年号を答えなさい。
- 白河天皇の故事に基づき、3隻の船に分乗して芸を競わせることになった三つの芸能(ジャンル)をすべて答えなさい。
- 三船祭のハイライトである「扇流し」の由来となった、大堰川で舟遊びを楽しんだ室町幕府の将軍は誰ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都検定受験の備忘録として、そしてこれから検定を目指す方への情報として、「三船祭」のコンテンツをまとめます。
目次
🚤 三船祭の基本情報
- 祭礼を行う神社:車折神社(くるまざきじんじゃ) (京都市右京区)
- 開催時期:5月第3日曜日
- 場所:大堰川(おおいがわ) (=桂川)、渡月橋の上流
📜 三船祭の起源と由来
三船祭は、宇多天皇が行った優雅な舟遊びを起源としています。
- 宇多天皇の行幸: **昌泰元年(しょうたい、898年)**に宇多天皇が嵐山に行幸し、大堰川で舟遊びを楽しんだのが始まりとされます。
- 遊興の習慣: その後、代々の天皇の行幸や御幸の際に、詩歌・管弦・舞楽などの遊興が行われる習慣となりました。
- 三船のしきたり:
- 白河天皇も大堰川での遊興を楽しみました。
- この際、歌、詩、管弦それぞれを得意とする者を選び、3隻の船に分乗させて芸を競わせました。
- この舟遊びがことのほか楽しかったため、大堰川での遊興では3隻の船を出すしきたりになったと伝えられています。
⛩️ 祭りの復興と現在
- 復興: 昭和3年(1928年)から、車折神社が主体となって三船祭として再興しました。
🎊 三船祭 当日の流れとハイライト
当日は、王朝絵巻さながらの雅な光景が広がります。
1. 神幸式と行列
- 車折神社の**神幸式(しんこうしき)**が行われます。
- 行列は三条通りを進み、渡月橋を渡って大堰川に向かいます。
2. 舟遊びと芸能奉納
- 神々や行列は二十数隻の船に分乗します。
- それぞれの船で、詩歌、管弦、舞楽といった芸能を奉納しながら、優雅な舟遊びが行われます。
3. 祭りのハイライト「扇流し」
三船祭の最も優美なハイライトです。
- 由来:
- 足利尊氏が大堰川で舟遊びをしていたとき、お供の童子が誤って扇を水に落としてしまいます。
- 尊氏は童子を叱るどころか、川面を流れる扇面の優美なさまに興じ入りました。
- この故事以来、舟遊びのお供をする者は競って扇を流すようになり、尊氏の機嫌をとったとされています。
- 奉仕: この扇流しは、京都扇子団扇(うちわ)商工協同組合の奉仕によって行われています。
【POINT】
- 三船の芸: 歌・詩・管弦
- 扇流しの由来: 足利尊氏と童子のエピソード
- 実施団体: 車折神社
このメモが、京都検定の学習とブログ記事の作成にお役立ていただければ幸いです!
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前述の練習問題の解答☆
- 車折神社(くるまざきじんじゃ)
- 5月第3日曜日
- 宇多天皇、昌泰元年(しょうたい)
- 歌、詩、管弦
- 足利尊氏