🔰 京都の三大勅祭:葵祭(賀茂祭)を知る!【京都検定対策】
京都三大祭の一つ「葵祭(賀茂祭)」の基本と歴史を徹底解説!京都検定の受験を控えている方、これから京都の歴史を学びたい方のために、起源から勅祭の構成、そして主要な行事までをまとめて整理しました。起源となった欽明天皇の時代の出来事や、行列の主役である斎王代など、重要ポイントをチェックしましょう。
- 葵祭が、石清水祭、春日祭とともに数えられる、天皇の使い(勅使)が派遣されて行われる格式の高い祭典のことを何と呼びますか。
- 葵祭の起源とされる、欽明天皇の時代に凶作が続いた際、神の怒りを鎮めるために祭礼が始まったと記されている文献は何ですか。
- 応仁・文明の乱で中断していた葵祭が、江戸時代の元禄7年(1694年)に再興される際、資金援助を行ったのは誰(または何)ですか。
- 葵祭の行列(路頭の儀)において、昭和31年(1956年)に復興され、女人列の中心となっている役の名称は何ですか。
- 葵祭で、宮中から上下の賀茂社まで、総勢500余名が平安貴族の装束で練り歩く公道の行列儀礼の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都在住者にとっても、観光客にとっても**「京都三大祭」の一つとして有名な葵祭**。正式名称は**賀茂祭(かもさい)**といい、その歴史は非常に古く、京都検定でも頻出の重要テーマです。この記事では、葵祭の基本情報から、知っておきたい歴史、そして祭を彩る主な行事までをまとめてご紹介します。
⛩️ 【基本のき】京都の三大勅祭とは?
まずは、葵祭がその一つに数えられる**「勅祭(ちょくさい)」**について整理しましょう。
勅祭とは、天皇の使い(勅使)が派遣されて行われる格式の高い祭典のことです。特に京都においては、以下の三つの祭が三勅祭と呼ばれています。
- 賀茂祭(葵祭):
- 別名:「北の祭り」
- 場所: 賀茂御祖神社(下鴨神社)および賀茂別雷神社(上賀茂神社)
- 時期: 5月
- 石清水祭(いわしみずまつり):
- 別名:「南の祭」
- 場所: 石清水八幡宮(京都府八幡市)
- 時期: 9月15日(放生会)
- 春日祭(かすがまつり):
- 場所: 春日大社(奈良県)
- 時期: 3月13日
📜 葵祭(賀茂祭)の起源と歴史
古来、祭といえば葵祭を指すほど、歴史と伝統を持つ祭礼です。
【起源】賀茂神の怒りを鎮める祭礼
- いつ? 飛鳥時代、欽明天皇(きんめい)の治世(在位は571年まで)の頃。
- なぜ? 凶作が続いたため、これを賀茂神の怒りによるものと考え、神の怒りを鎮めるために祭礼が始まりました。
- 祭礼内容: 4月の吉日に、猪の頭を被った人が鈴を付けた馬を走らせるというもので、五穀豊穣を祈願しました。
- 典拠: この起源は**「山城国風土記」逸文**に記されています。
【歴史】中断と再興、そして「斎王代」
- 中断: 室町時代の応仁・文明の乱で一時中断。
- 再興: 約200年後の江戸時代、元禄7年(1694年)に江戸幕府の資金援助を得て復活。
- 「葵」の装飾: 勅使をはじめ、行列参加者全員が**双葉葵(ふたばあおい)**の葉を身に着けることが特徴です。
- 女人列の復活: 昭和31年(1956年)に、伊勢神宮に仕える斎宮(さいぐう)と同じく賀茂社に仕えた斎王に代わる**「斎王代(さいおうだい)」を中心とする女人列**が復興され、みやびな行列が一層華やかになりました。
- この行列で最も知られるのが、公道を巡行する**「路頭の儀(ろとうのぎ)」**です。
🗓️ 葵祭の主な行事(5月)
葵祭は5月を中心におよそ2週間続く祭礼の総称です。主要な行事をピックアップして確認しましょう。
| 日付 | 行事名 | 開催場所 | 内容の概要 |
| 5月1日 | 競馬会足汰式(くらべうまえあしぞろえしき) | 下鴨神社 | 5日の競馬会神事に出場する馬を選抜し、調子を整える儀式。 |
| 5月3日 | 流鏑馬神事(やぶさめしんじ) | 下鴨神社 | 馬を走らせながら鏑矢を的に向かって射る神事。 |
| 5月5日 | 競馬会神事、歩射神事(ぶしゃ) | 下鴨神社 | 競馬会神事:馬を競走させる神事。歩射神事:弓を射る神事。 |
| 5月10日頃 | 御禊の儀(みそぎのぎ) | 上・下社(隔年交代) | 斎王代など女人行列に奉仕する女性が、みそぎを行い、**人形(ひとがた)**を流して身を清める儀式。 |
| 5月12日 | 御蔭祭(みかげまつり)、御阿礼神事(みあれ) | 御蔭神社~下鴨神社、上賀茂神社 | 賀茂神の荒御霊(あらみたま)を御蔭神社から下鴨神社に迎える御蔭祭。上賀茂神社では御阿礼神事(神霊を迎える儀式で完全非公開)が行われます。 |
| 5月15日 | 路頭の儀(ろとうのぎ) | 京都御所~下鴨神社~上賀茂神社 | 総勢500余名が平安貴族の装束で練り歩く、祭のメインイベント。 |
📌 【補足】御蔭祭の神幸列
御蔭祭で神霊を遷(うつ)す神幸列は、初代神武天皇の次の**綏靖天皇(すいぜい)**の時代に始まったとされます。室町時代に一度絶えましたが、**元禄年間(1688~1704)**に復活しました。
🐎 路頭の儀後の儀式:社頭の儀
5月15日の路頭の儀に続いて、上下の賀茂社で行われる祭式のことを**社頭の儀(しゃとうのぎ)**といいます。
【下鴨神社での社頭の儀】
- 儀式: **東遊(あずまあそび)や走馬(そうま)**などが行われます。
- 授与品: 宮司から勅使に、葵桂(きっけい)(双葉葵と桂の小枝)が授けられます。
【上賀茂神社での社頭の儀】
- 授与品: 宮司から勅使に**「御神録(ごしんろく)」**が授けられます。

📌 【豆知識】
- かつては、この翌日に斎王が紫野の斎院に帰る**「還御(かんぎょ)の儀」**(祭のかへさ)が行われていました。
- 行列に使われる馬を扱う職掌を**馬寮使(ばりょうつかい)**といいます。
🏛️ 山城使の役割
葵祭の重要な役割を担った役職についても覚えておきましょう。
- 背景: 賀茂社(下鴨・上賀茂)は京外の地に位置したため、**山城国司(やましろのくにのつかさ)**の管轄でした。
- 役割: 勅祭である葵祭の行列の安全を保障するため、国司の次官である山城介(やましろのすけ)が山城使として派遣されました。
✅ まとめ:葵祭の重要ポイント
| ポイント | 詳細 |
| 正式名称 | 賀茂祭(かもさい) |
| 別名 | 北の祭り |
| 場所 | 下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社) |
| 起源 | 欽明天皇の時代、賀茂神の怒りによる凶作を鎮めるため |
| 特徴的な装飾 | 双葉葵(ふたばあおい)と桂 |
| メイン行事 | 5月15日の路頭の儀 |
| 行列の主役 | 斎王に代わる斎王代を中心とした女人列 |
| 重要な役職 | 行列の安全を保障する山城使(山城国司の次官) |

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