🧐 京都の博覧会:新時代の息吹と勧業事業の幕開け#971
京都の近代史において重要な役割を果たした「博覧会」。この記事は、京都検定の受験対策にも役立つよう、日本最初の博覧会(明治4年)から、京都博覧会社の設立、そして京都市勧業館へと至る歴史を、会場の変遷や当時の背景とともに簡潔にまとめました。新時代へ向けた京都の産業振興の息吹を感じてください。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 明治4年(1871年)に日本で最初とされる博覧会が開催された会場となった寺院の名称を答えなさい。
- 明治4年の博覧会の主催者の一人で、三井財閥の基礎を築いた人物の名称を答えなさい。
- 明治5年(1872年)に京都博覧会社による第1回「京都博覧会」が開催された際、西本願寺、建仁寺とともに会場の一つとなった寺院の名称を答えなさい。
- 明治6年(1873年)の第2回京都博覧会の会場となった、皇室関連施設の名称を2つ答えなさい。
- 京都博覧会の第4回会場であった「岡崎博覧会館」が、後に発展した施設の名称を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
京都検定の重要テーマの一つ、**「博覧会」**に関する歴史と概要をまとめます。
初期の博覧会:日本初と古物古器の展示
- 開催年と会場:
- 明治4年(1871年):西本願寺を会場として開かれました。これは日本で最初の博覧会とされています。
- 主催者と支援:
- 主催者:三井八郎右衛門、小野善助、熊谷久右衛門の3名。
- 支援:京都府が資金の一部を援助しました。
- 規模と内容:
- 入場料:金一朱
- 入場者総数:1万1200人
- 陳列品:古物古器が中心でした。
- 意義:
- 当時の博覧会は、新時代の方向を示唆する勧業事業(産業を奨励・発展させるための事業)として期待されましたが、第1回は古物展示会に終始しました。
京都博覧会社の設立と「京都博覧会」の発展
- 京都博覧会社の創立:
- 明治4年の博覧会を受け、京都博覧会社が創立されました。
- 外国人入京の特例要請:
- 当時、外国人は開港・開市場から10里(約40キロメートル)以上には旅行できない制限がありました。
- 京都府は、京都博覧会のために外国人の特別な入京を政府に要請しました。
- 第1回「京都博覧会」の成功:
- 開催年:明治5年(1872年)
- 主催:京都博覧会社
- 会場:西本願寺、建仁寺、知恩院の3会場
- 会期:50日の予定が80日まで延長される大盛況となりました。
開催場所の変遷と施設の恒久化
- 会場の変遷(大宮御所・旧皇室関連施設へ):
- 第2回(明治6年・1873年):御所と仙洞御所
- 第3回:大宮御所
- 第4回:岡崎博覧会館
- 後の施設へ:
- 第4回の会場である岡崎博覧会館は、後に京都市勧業館へと発展していきます。
まとめ
京都の博覧会は、単なる古物展示から始まり、勧業事業としての役割を強め、やがて**京都市勧業館(みやこめっせの前身)**という恒久的な施設につながる、京都の近代化と産業振興の歴史において非常に重要な役割を果たしました。

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前述の練習問題の解答☆
- 西本願寺
- 三井八郎右衛門
- 知恩院
- 御所、仙洞御所
- 京都市勧業館


