🏯 京都の有名ホテルの歴史:老舗のあゆみ#961
京都検定合格を目指す方必見!現在の「京都ホテルオークラ」や「ウェスティン都ホテル京都」など、京都を代表する有名ホテルのルーツをたどります。明治時代に開業した「常盤ホテル」「吉水園」「也阿弥ホテル」の創業者の名前や、意外な変遷の歴史を簡潔にまとめました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 明治21年(1888年)に神戸の料亭「常盤花壇」を経営していた前田又吉が川端二条に開業した、現在の京都ホテルオークラの前身となったホテルの名称を答えなさい。
- 常盤ホテルを買収し、「京都ホテル」に改称した人物は誰ですか。
- 現在のウェスティン都ホテル京都の前身となった、明治23年(1890年)に三条粟田口で席貸し(貸席)として開業した施設の名称を答えなさい。
- 明治33年(1900年)に吉水園の園内に増築され、正式に「都ホテル」として開業するにあたり支援者となった、中村栄助、高木文平と並ぶ人物は誰ですか。
- 明治14年(1881年)に長崎の井上万吉が開業し、照明はランプ、食事は全て洋食という特徴を持ち、明治39年(1906年)に焼失した東山の洋式ホテルの名称を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の地で、明治時代から日本の観光客や外国人をもてなしてきた老舗ホテルたちのルーツをたどります。
【京都ホテル】の前身:常盤ホテル
現在の京都ホテルオークラにつながるホテルの始まりです。
- 開業と創業者:明治21年(1888年)、神戸の料亭「常盤花壇」を経営していた**前田又吉(まえだ またきち)**氏によって、川端二条に開業しました。その名は「常盤ホテル」でした。
- 改称:明治27年(1894年)、**井上喜太郎(いのうえ きたろう)**氏がこのホテルを買収し、「京都ホテル」と改称しました。
【都ホテル】のルーツ:吉水園から
現在のウェスティン都ホテル京都に連なる歴史です。
- 前身:明治23年(1890年)、三条粟田口(あわだぐち)にあった**「吉水園(きっすいえん)」**という席貸し(貸席)が前身です。
- 創業:園主であった**西村仁作(にしむら じんさく)**の息子、**西村仁兵衛(にしむら じんべえ)**が園内に建物を新築し、各種会合や能・狂言、浄瑠璃などに利用される席貸しとして利用されていました。
- 都ホテルへの発展:その後、中村栄助(なかむら えいすけ)、高木文平(たかぎ ぶんぺい)、**上野栄三郎(うえの えいざぶろう)**らの支援を受け、明治33年(1900年)に客室、食堂など3棟が増築され、正式に「都ホテル」として開業しました。
東山の迎賓館:也阿弥(やあみ)ホテル
短命に終わりましたが、京都における初期の洋式ホテルの代表的な存在でした。
- 開業:明治14年(1881年)、**長崎の井上万吉(いのうえ まんきち)**氏が、東山の安養寺(あんようじ)の塔頭(たっちゅう)などで料理茶屋を営んでいた「也阿弥」などを買収し、洋式に改装して開業しました。
- 補足:井上万吉氏は、前述の京都ホテルを買収した井上喜太郎氏の兄にあたります。
- 特徴:
- 照明はランプを使用。
- 提供される食事は全て洋食でした。
- 終焉:明治39年(1906年)に焼失しました。
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前述の練習問題の解答☆
- 常盤ホテル
- 井上喜太郎(いのうえ きたろう)
- 吉水園(きっすいえん)
- 上野栄三郎(うえの えいざぶろう)
- 也阿弥ホテル(やあみホテル)