🏯京都検定のための備忘録:京都の橋#958

京都の橋には、それぞれ神秘的な伝説や、歴史上の重要な出来事が刻まれています。この記事では、京都検定の合格を目指すあなたのために、「一条戻り橋」「三条大橋」「渡月橋」など、特に重要な橋の由来やエピソードを徹底解説!ブログ記事として読みやすく整理しました。

この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
  1. 平安京の東北の境界と意識され、文章博士の三善清行が一時的に生き返ったという伝説を持つ、堀川一条に架かる橋の名前は何ですか。
  2. 長岡京市の小畑川に架かり、大雨で流される橋の架け替えに備えるために、日本で初めて橋銭(一文)が徴収されたとされる橋の名前は何ですか。
  3. 豊臣秀吉が方広寺建立の資材運搬と参詣のために、天正14年(1586年)に旧五条橋(現在の松原橋)の位置から移築したことで知られる橋の名前は何ですか。
  4. 天正18年(1590年)に豊臣秀吉の奉行、増田長盛によって本格的な架橋が行われ、欄干の擬宝珠にその経緯が刻まれている、鴨川に架かる橋の名前は何ですか。
  5. 洪水時に橋板が8分割されて流れることを想定して建造されており、時代劇のロケ地として有名で、「やわた流れ橋」とも呼ばれる、木津川に架かる橋の名前は何ですか。

☆回答は記事の最後にあります。

この記事は、京都検定を目指す方が知っておきたい、**「京都の橋」**に関する知識を整理した備忘録です。歴史や由来に注目して、しっかりと暗記しておきましょう!

🌉一条戻り橋(いちじょうもどりばし)

  • 所在地: 堀川一条に架かる。
  • 歴史的・文化的背景:
    • 平安京の東北の境界と意識され、神秘的な雰囲気が濃厚な場所とされていました。
    • 死者のよみがえりの場としての信仰があります。
  • 有名な逸話:
    • 文章博士(もんじょうはかせ)の三善清行(みよしきよゆき)が亡くなった際、息子の浄蔵が熊野から帰る途中、この橋の上で父の葬送の列に出合いました。
    • 浄蔵が嘆き悲しむと、清行が一時的に生き返ったという伝説があります。

🌉一文橋(いちもんばし)

  • 所在地: 長岡京市の小畑川に架かる。
  • 名前の由来:
    • 昔、一文の橋銭を徴収したことに由来します。
  • 特筆すべき点:
    • 当時の小畑川は、大雨で木橋を流してしまう恐ろしい川でした。
    • 橋の架け替え費用に備えるために橋銭が徴収された、日本で最初の有料橋とされています。

🌉五条大橋(ごじょうおおはし)

  • 旧橋との関係: 旧五条橋(現在の松原橋)に架かっていた頃は、清水寺への参詣路であり、「清水橋」や「勧進橋」とも呼ばれていました。
  • 現在の位置への移築:
    • 豊臣秀吉天正14年(1586年)に方広寺を建てるにあたり、資材運搬や参詣のために、橋を現在の五条の位置に移築しました。

🌉三条大橋(さんじょうおおはし)

  • 本格的な架橋まで: 三条の鴨川には常設の橋がなく、必要に応じて粗末な橋が架けられる程度でした。
  • 本格的な架橋:
    • 豊臣秀吉が小田原の北条氏を討つことを決めた**天正18年(1590年)に、奉行の増田長盛(ましたながもり)**に命じ、本格的な架橋が行われました。
  • 欄干の擬宝珠(ぎぼし):
    • 完成した橋の欄干の擬宝珠には、増田長盛の名によって架橋の経過が刻まれています。
    • 六十三本の石柱を礎として地に打ち込んだのは日本の石橋の濫觴なり(らんしょう)」という記録があります。
  • 歴史的意義: 秀吉はこの三条橋を渡って京を出て小田原城を攻め落とし、凱旋しました。

🌉四条大橋(しじょうおおはし)

  • 別名:祇園感神院(現在の八坂神社)への参詣路に当たることから、「祇園橋」とも呼ばれていました。
  • 維持: **勧進聖(かんじんひじり)**によって架橋・維持されていました。

🌉上津屋橋(こうづやばし):やわた流れ橋

  • 構造的な特徴:
    • 全長は356.5mで、水道橋としては日本最長(※水道橋との記述ですが、一般的には「木津川に架かる、日本最大級の木造の橋」として有名です)。
    • 幅は3.3mです。
    • 洪水時に水位が一定の高さになると、全体が8分割されて流れる構造になっています。
    • 橋板は橋脚に結んであり、水が引けばすぐに再建できるように流されることを想定して建造されています(これが「流れ橋」の名の由来)。
  • 用途:時代劇のロケ地として有名です。

🌉渡月橋(とげつきょう)

  • 所在地: **大堰川(おおいがわ)**に架かる、嵐山の象徴的な橋です。
  • 創建:
    • 承和3年(836年)、**道昌(どうしょう)**という僧が大堰川の流路を整備した時に架橋されました。
  • 別名:
    • 橋の南にある法輪寺にちなんで、「法輪寺橋」や「法輪橋」とも呼ばれていました。
  • 名前の由来:
    • 月が橋の上を東から西へ渡る様子を見た亀山天皇が名付けたとされています。

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この記事を書いた人
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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆
  1. 一条戻り橋(いちじょうもどりばし)
  2. 一文橋(いちもんばし)
  3. 五条大橋(ごじょうおおはし)
  4. 三条大橋(さんじょうおおはし)
  5. 上津屋橋(こうづやばし)

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳