🥢京都の料理を支える食材:歴史と特徴
京都の食文化を支えてきた食材の歴史を深掘り!内陸の都で独自の進化を遂げた「くり」「たけのこ」「鱧」について、飛鳥・平安時代からの歴史や、祇園祭との深い結びつき、高度な調理技術「骨切り」までを解説します。京都検定の受験対策にも最適な、知っておきたい京食材の知識をまとめました。
問1 持統天皇の7年(693年)に出された、諸国に植えるように命じられた四つの品目(桑、蕪菁、紵、くり)のうち、「蕪菁」の現代における一般的な名称は何ですか。
問2 延喜式において、丹波国から「甘栗子(あまぐりご)」や「搗栗子(かちぐり)」などとして菓子が貢進されていた際の、納税の対象となっていた品目名(食材名)は何ですか。
問3 『日本紀略』に弘仁4年(813年)の記事として「麦のように実を付けた」と記されている竹の種類で、淡竹(ハチク)の別名とされるものは何ですか。
問4 京都の高級食材である孟宗竹は、元文元年(1736年)に琉球を経て薩摩に伝来しましたが、その後薩摩の島津家から京都のどの家に贈られたことで、京都での栽培が始まったとされていますか。
問5 「祇園祭は鱧祭」とも呼ばれるように、夏の京都の食文化を象徴する魚「鱧」は、調理の際に皮を切らずに骨を細かく断つ、高度な技術を要する作業を何と呼びますか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の食文化は、地理的な制約(海から遠い内陸であること)と歴史的な背景(都として栄えたこと、御所や寺社が多く独自の文化が育まれたこと)により、独自の発展を遂げてきました。ここでは、特に歴史的な由緒を持つ代表的な食材を、その特徴とともに解説します。
🌰 くり(栗)
古くから日本の食生活に深く根ざし、京都とも深い関わりを持つ重要な食材です。
- 歴史的背景:
- 飛鳥時代:持統天皇の7年(693年)には、諸国に対して桑・蕪菁(かぶら)・紵(いちび=麻の一種)・くりを植えるようにという詔勅が出されています。これは、くりが重要な食料・資源として認識されていたことを示しています。
 - 平安時代:法令集である延喜式には、諸国からの納税(貢進)品としての規定があります。丹波国からは「甘栗子(あまぐりご)」「搗栗子(かちぐり)」「平栗子(ひらぐりご)」などが菓子として貢納されており、京都の食と財政に深く関わっていました。
 - 特に丹波地方の栗は、品質の高さから有名です。
 
 
🎍 たけのこ(筍)
京都の春の味覚の代表格であり、高級食材として知られています。
- 栽培の歴史と種類:
- 現在、日本の竹の栽培の主流は、中国から輸入された種が基となっています。
 - **日本紀略(弘仁4年、813年)には、「呉竹が麦のように実を付けた」という記事があります。この呉竹は淡竹(はちく)**のことと考えられています。
 - 京都で最も有名なのは「孟宗竹(もうそうちく)」です。元々は中国南部の産地です。
 
 - 京都への伝来:
- 孟宗竹は、元文元年(1736年)に琉球を経て薩摩(島津家)に伝わりました。その後、薩摩藩主の島津家から京都の近衛家へ贈られ、京都での栽培が始まったとされています。
 - 特に京都市西部の洛西(大枝、西山など)の筍は、土壌や栽培技術により色白で柔らかいことで知られています。
 
 
🐟 はも(鱧)
夏の京都料理に欠かせない高級魚で、**「祇園祭は鱧祭」**と言われるほど、祭りとの結びつきが強い食材です。

- 産地と特徴:
- 主に紀伊水道およびその周辺地域の浅瀬で獲れる硬骨魚です。
 - 京都では、主に瀬戸内海産の鱧が最上品とされています。
 - 内陸の京都へも、鮮度を保ったまま運べる生命力の強さから重宝されました。
 
 - 調理技術:鱧の骨切り
- 鱧は皮の直下に非常に小骨が多いため、普通の調理法では食べにくい魚です。
 - この小骨を食べるために発達したのが、特殊な鱧包丁を用いた鱧の骨切りという技術です。
 - 骨切りは、一寸(約3.3センチ)の間に20本以上の細かい切り込みを入れながら、皮は切断しないように行う高度な技です。
 
 - 旬と祭り:
- 鱧は梅雨の水を飲んで肥えると言われ、梅雨明けの鱧が最も脂が乗って格別とされます。
 - 京都の祇園祭の宵山や山鉾巡行がちょうど梅雨明けの時期と重なります。このため、祇園祭は別名「鱧祭」とも呼ばれ、夏の京都の食文化を象徴しています。
 
 

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【回答】
答1 かぶら(蕪)
答2 くり(栗)
答3 呉竹(くれたけ)
答4 近衛家(このえけ)
答5 鱧の骨切り(はものほねきり)


