坂本龍馬と京都:関連史跡と出来事#935
京都検定受験を目指す方へ!幕末の重要人物、坂本龍馬ゆかりの地を徹底解説します。終焉の地近江屋、襲撃された寺田屋、活動拠点酢屋など、京都で起こった龍馬関連の出来事を整理し、一目でわかるようまとめました。]
坂本龍馬は、幕末の志士として京都で多くの活動を行い、その最期も京都でした。京都検定において、龍馬関連の史跡や事件は頻出項目です。
1. 龍馬終焉の地:近江屋事件
- 場所と事件
- 慶応3年(1867年)、坂本龍馬と中岡慎太郎(なかおか しんたろう)は、河原町通りの蛸薬師(たこやくし)下る西側にあった**近江屋(おうみや)**で襲撃され、殺害されました。
- 近江屋は醤油商人の店で、龍馬は裏の土蔵に下宿していました。
- 下宿の理由
- 龍馬が設立した海援隊は、土佐藩から独立した商業組織という建前でした。
- 龍馬は脱藩者であったため、公然と土佐藩邸に泊まることで藩に迷惑をかけることを懸念し、この近江屋を隠れ家として利用していたとされます。
2. 海援隊京都本部:材木商 酢屋
- 場所
- 海援隊の京都本部が置かれたのは、三条通りより一筋南、通称「車道(くるまみち)」にあった**材木商「酢屋(すや)」**です。
- 高瀬川に沿った木屋町通りを少し下がれば、すぐに土佐藩邸があるという立地も、活動拠点として便利でした。


3. 龍馬襲撃事件:伏見 寺田屋
- 場所と事件
- 龍馬は近江屋で殺害される前年の**慶応2年(1866年)**にも、伏見(ふしみ)の船宿「寺田屋(てらだや)」で、伏見奉行所の幕吏に襲撃されています。
- 寺田屋は、伏見と大坂の間を往復する三十石船(さんじゅっこくぶね)の乗客の予約や休憩のために利用される船宿でした。
- この襲撃時、龍馬は高杉晋作(たかすぎ しんさく)から贈られたピストルを撃ち、危機を逃れました。
- 現在の寺田屋
- 寺田屋は今も旅館として営業しており、龍馬が襲撃された部屋など見学が可能です。
【参考】幕末の志士関連の重要スポット:池田屋
- 場所と事件
- 龍馬関連ではありませんが、幕末の重要事件として知られる「池田屋事件」が起こった旅籠も、龍馬ゆかりの地に近い場所にありました。
- 元治元年(1864年)、河原町通りと鴨川(かもがわ)の間、三条通りの北側にあった旅籠「池田屋(いけだや)」に集まっていた尊攘派(そんじょうは)の志士を、**近藤勇(こんどう いさみ)が指揮する新選組(しんせんぐみ)**が襲撃し、多数の死傷者が出ました。

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