両親がサ高住に引っ越した初めての年末年始。実家は宿泊事業へ転用準備中 #897 mission093
024年の年末年始は、僕にとって大きな節目となるものでした。というのも、この年は両親が長年住んだ実家を離れ、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)へ引っ越した1年。その初めての年越しを迎えることになったからです。
母の認知症と、父の身体の衰えと向き合う日々
母はサ高住での生活には少しずつ慣れてきましたが、認知症の進行は否応なく進んでいて、今いる場所や、日付などが瞬時には判断できない場面が増えてきました。
一方の父は、足腰の衰えが顕著で、90歳を超えたことによる認知機能の低下も見られます。さらに、肺にできたガンの影響で「腫瘍熱」という症状に苦しんでおり、体調の波や感情の起伏も激しく、日常会話も簡単ではなくなってきています。
実家は住宅宿泊事業として再出発へ
両親が離れた実家については、2025年春から「住宅宿泊事業」として活用する方針が決まりました。年内にはリフォーム工事も無事完了し、2025年2月には京都市への届出番号も取得予定です。
このリフォーム工事に先駆けて、家の中に残っていた家財道具も大方整理しました。父が「これ持ってきてくれ」と言い出しそうな小物や電化製品は手元に残し、母が大切にしてくれていた僕の幼稚園や学校行事の写真やプリント、資料などもたくさん見つかり、大切に保管することにしました。
両親が他界してからでは「遺品整理」という形になってしまうところでしたが、今このタイミングでしっかりと向き合えたのはよかったと思います。
ちなみに、実家の和室にあった仏壇については、宿泊事業として建物を活用しつつも、1室をオーナールーム(管理人部屋)として確保し、そこで今後も管理していくことができるようにしました。

両親が離れて初めての年越し、地域とのつながりを大切に
両親が実家を離れて初めての年末だったこともあり、リフォーム工事や宿泊事業の準備と並行して、檀家としてお世話になっているお寺の住職や、ご近所の方々にもご挨拶に伺いました。
子供のころから知っているご近所さんも、だいぶ顔ぶれが変わっていましたが、皆さんが口々に両親の体調を心配してくださり、僕から「引っ越しはしたけれど、今も元気に過ごしていますよ」とお伝えすると、ほっとされていたのが印象的でした。
年末年始は東京で過ごし、年明けに京都へ
京都の年末年始は観光客や帰省ラッシュで混雑することもあり、今回は僕たち家族は東京で年越しをし、年明けすぐに僕だけが京都へ行く、という形をとることにしました。いつも通りの遠隔介護のスタイルです。
というのも、前年の年末に帰省した際、認知症の母は僕の帰省が嬉しかったのか、大晦日に何度も外に出て「お餅」を買いに行こうとしていたことがあったんです。
また父も、身体の衰えた自分の姿をあまり妻や孫に見せたくないようで、「無理して来なくていい」と何度も口にしていました。
最後に
両親がサ高住に移ったこと、そして実家が宿泊事業として新たな形で再スタートを切ろうとしていること。この年末年始は、僕にとって家族の節目を強く感じる期間となりました。これからも遠くからにはなりますが、両親のサポートを続けていきたいと思います。
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