母のデイサービス再開までのすったもんだ|サ高住と“昭和の父”と向き合う日々 #886 mission082

2024年10月。
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に暮らす母は、毎週木曜日のデイサービス通いに少しずつ慣れてきました。

たまに僕の予定が合う木曜日の朝には、9時20分の送迎車を一緒に見送ることもあります。そんなとき母は笑顔で、「お風呂に入りに行ってくるねん。お父さんも行けばいいのに、あの人こういうの苦手やからな」と、余裕の表情。そんな姿を見るのが、僕にとってはささやかな喜びでもありました。

思いがけない“事件”が起きた日

ところがある木曜日の夕方、いつものようにデイサービスから帰ってきた母が、自室に戻って間もなく体調を崩し、発熱してしまいました。

たまたまその場にいたのは、夕飯に誘いに来た父。サ高住の介護・看護の責任者がその時間不在だったこともあり、対応が少し遅れ、父の機嫌が一気に悪化してしまいました。

「リハビリに行ってきたはずが、熱を出して帰ってくるなんて……次からもう行かなくていい!」

と、母の今後についてヘルパーさんに怒りまかせに言い放ってしまったのです。

決定権は“昭和の父”に

我が家は、昔ながらの「父が最終決定権を持つ昭和の家庭」。母がデイサービスに通うかどうかも、父の理解がないと話が進みません。

今回の発熱については原因不明で、母自身も「昔の持病かな……」と不安を口にしていました。結果として、母は2週間ほどデイサービスをお休みすることに。

ただ、熱も下がり体調も戻ってきた頃、母は「そろそろ行きたい」と言い出しました。ところが、父が首を縦に振らないのです。

板挟みになる僕と、“ママさん”への相談

介護の管理者の方に、僕はこう伝えました。

「母の体調は良くなっているのでデイサービスに行かせたいんですが、父が反対していて……。なので今回もお休みでお願いします。」

パッと聞いただけでは理解されにくい、けれど僕としては本当に困っている理由でした。

そんな状況を見かねて、僕は思い切って、父が一番信頼を置いている介護管理者――通称“ママさん”に相談しました。

「僕の家は昔から、何をするにも父が決める形でずっと来ていて、今もその延長線にあるんです。母のこと、前に進めたいけれど僕ひとりではどうにもできなくて……。」

するとママさんは、静かにでも力強くこう言ってくれました。

「少しだけ、私に時間とチャンスをもらえますか?お父さまと話してみます。」

父の変化と、母のデイサービス再開

数日後、父から僕に電話がありました。

「ママさんと話してな。お母さんのリハビリ(デイサービス通い)、わしはOKやから。あとはママさんと相談して決めてくれ。」

電話の向こうの父の声は、どこかほっとしたような、でも少し涙ぐんでいるようにも聞こえました。

ママさんは、母の体調や気持ちをしっかり父に伝えてくれたうえで、「このタイミングでこそリハビリに行く意味がある」と、プロとしての確かな思いを持って話してくれたそうです。

その話に、父も納得してくれたのです。

こうして、ようやく母のデイサービス通いは再開されました。振り返れば、ほんの数週間のことだったのかもしれません。でも、家族の間にある「見えない壁」を乗り越えるには、それだけの時間と人の力が必要だったのだと実感しています。

家族の介護は、家族だけでは完結しない

今回の出来事を通じて、あらためて思ったのは、「介護は、家族だけで抱え込んではうまくいかない」ということ。

親の世代の考え方や性格を変えるのは簡単ではありません。でも、信頼できる介護職の方々が間に入ってくれることで、家族の関係も少しずつ変わっていくのだと思います。

母の笑顔が戻った木曜日の朝。
僕はこれからも、できるだけ一緒に見送りに立ち会いたいと思っています。

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京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

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