突然の訃報:母の妹、叔母さんとの別れとその後の介護#815 介護振り返りnote012
2022年(令和4年)1月24日の夕方、母から一本の電話がかかってきました。
内容は、母の妹、つまり僕の叔母が亡くなったという知らせでした。
直接の死因は急性心不全。糖尿病と高血圧を長年患っており、有料老人ホームでの生活が続いていました。
昭和25年生まれで、母より8歳年下。80歳を迎える少し前のことでした。
母は5人兄妹の長女。長男のお兄さんに続き、母、そして3人の妹がいました。
この叔母はその一番下の妹で、今回の訃報をもって兄妹5人全員が他界されたことになります。
僕にとって叔母たちは、子供のころからとても可愛がってくれた存在でした。
おそらく甥っ子として唯一の僕が可愛かったんだと思います。
特に今回亡くなった叔母は、元気で明るく、はきはきした声が印象的で、よく一緒に遊んでくれた思い出があります。
一方で、叔母は5人兄妹の末っ子で独身。
自由に人生を楽しんでいたようにも見えましたが、若いうちから身体やメンタルの不調を抱えていた様子もありました。
自由気ままな反面、健康面では無理が重なっていたのかもしれません。

そんなことを考えながら、僕は知らせを受けた翌日、通夜へ向かう新幹線の中でいろいろな思いを巡らせていました。
母は長女として嫁ぎ、子育てをしながら多くの苦労を乗り越えてきた人です。
大変なこともあったと思いますが、子供の存在が生きる励みになったことは間違いありません。
そのことが、兄妹の中で唯一母が長く生き続けている理由の一つかもしれない、そんな風にも思いました。
翌朝は東京で仕事を済ませ、夕方には京都に到着。
高齢の父に代わって、地元の葬儀社との連絡を引き継ぎました。
父は当時87歳、母は80歳で認知症も進行しており、妹の死を受け入れるだけでも精一杯の様子でした。
叔母は長く老人ホームで暮らしており、見舞いや面倒を見ていたのは母だけ。
他の親族や友人は近くにいない状況でした。
そのため、通夜と告別式は「家族葬」として、ごく限られた身内だけで執り行うことになりました。
お寺さん、そして僕たち家族3人のみが参列しました。
僕が京都に着くまで、父は母を連れてタクシーで病院や故人の実家をまわっていました。
その疲労は想像以上だったようで、通夜と告別式に出たあと、出棺のタイミングで「もう体力が限界や。火葬場の対応はお前に任せた」と言い残し、自宅に戻ってしまいました。
そんな出来事があった1月末。
ここから、思っていた以上に長く続くことになる「相続手続き」が本格的に始まりました。
気づけば令和7年まで、その対応に追われることになるとは、この時点ではまだ思ってもみませんでした。

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