祇園祭の用語解説#933
祇園祭を深く理解するために欠かせない重要用語を解説します。「曳山」とは?「御旅所」の歴史は?そして巡行のハイライト「注連縄切り」の持つ意味とは?京都検定受験対策としても役立つ、祇園祭の神事と文化に関わる専門用語を分かりやすくまとめました。
曳山(ひきやま)
本来、祇園祭の「山」は舁山(かきやま)といい、人が担いで巡行するものでしたが、現在は以下の3基が鉾と同様に車輪を用いて曳いて巡行するため、特に「曳山」と呼ばれます。
- 岩戸山
- 北観音山
- 南観音山
花傘巡行
祇園祭の山鉾巡行は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
- かつての巡行形式: 昭和40年までは、山鉾巡行は先祭(さきまつり)の巡行(7月17日)と後の祭りの巡行(7月24日)の2組に分かれていました。
- 合同と花傘巡行の誕生:昭和41年からは、後祭の巡行が先祭の巡行に合同されました。
- 現在: それまで後祭が行われていた7月24日には、代わりに花傘巡行が行われるようになりました。
- 参加団体: 獅子舞、花傘、馬長(うまおさ)・児(ちご)武者など、祇園祭花傘連合会の14団体が参加します。
- ルート: 八坂神社から出発し、四条通~河原町通、御池通寺町を通り、四条御旅所を経て八坂神社へと戻ります。
- 奉納: 巡行後、八坂神社の舞殿で舞踊が奉納されます。
御旅所(おたびしょ)
御旅所は、八坂神社の神霊が祇園祭の時に渡御(とぎょ)して滞在する場所です。「祇園御旅所」とも呼ばれます。
- 現在の場所:天正19年(1591年)に豊臣秀吉の命令によって、現在の四条寺町に御旅所が移されました。
- 大政所(おおまどころ)の由来: 平安時代中期、秦助正(はたのすけまさ)という人物が祇園神降臨の夢のお告げを受け、円融天皇も同じ夢を見たことから、助正の邸宅が御旅所とされました。その一帯が奉納され、大政所と称して社殿が建てられました。
- 現在の四条寺町に移された後、かつての跡地にも小さな社殿が設けられ、「大政所(御旅所)」と呼ばれています。
注連縄切り(しめなわきり)
「注連縄切り」は、山鉾巡行当日に、先頭の長刀鉾に乗る稚児によって行われる重要な儀式です。
- 場所:四条麩屋町で行われます。
- 意義: この地点は聖域(神の領域)と俗世(人間界)との結界とされています。
- 儀式の内容: 八坂神社から神の使いとして神位を授かった稚児が、結界のしるしである注連縄を切ることで、神に巡行の開始を告げます。
- 巡行開始の許可:四条寺町の八坂神社御旅所に着座した宮司が、稚児の注連縄切りを確認することで、神から巡行の開始が許可されます。
- 場所の変遷: 昔は山鉾巡行は四条通から寺町通に曲がっていましたが、辻まわしと注連縄切りを同じ交差点で続けて行うのは困難だったため、御旅所よりも西の麩屋町で注連縄切りを行い、その後寺町で辻まわしをするしきたりとなりました。(※現在は山鉾巡行は四条通から河原町通りへ曲がります)

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