#854 mission050 母と妻と、引っ越しと──あの日の京都で気づいたこと【介護振り返りnote】

今回は、僕の母と、妻との関係を。

2024年2月の両親の引っ越しの約1週間後、子供二人は東京に残しておばあちゃんに面倒見てもらい、妻に単身京都に来てもらいました。
バタバタと、あわただしく引っ越しをして、服や身の回りのものは、父の方は意識がしっかりしている分、あれが欲しいと言われれば取りに戻れるし、男ものなので自分でも何となく感覚がわかる。でも母の方は無理です。

なので、そもそも荷物の量も多い母の部屋の整理に、妻に1泊2日で来てもらったというわけです。

結婚した当時、母は僕の妻のことを「突然現れた娘」と表現して、手紙を送ったり、とても喜んで仲良くしてくれました。妻も、もう一人の京都にいる母親のことは好きで、東京から、形式上は京都に嫁ぐ身として頼りにもなったでしょう。
母が認知症が進んでからも、僕の次に身を案じるのは、妻のことで何かと気にかけてくれていました。

この人と結婚すると決めて挨拶に行って、京都から東京に戻る道中、母から僕に最初で最後(母とは基本面と向かってか電話でのコミュニケーションしかしてこなかった)のメールが来ました。
「いい人に出会えてよかったね、父さんも母さんも喜んでます」
これは、もう当時のガラケーは残ってないですが、鮮明に思い出すことのできる大切な思い出です。

妻は丁寧に、母の服や日用品を分けてくれました。
もう捨てるべきもの、実家に残しておくもの、サ高住に持って行った方が良いもの、春になったら持っていくべきもの。

一通り整理ができたら、東京に戻る前に妻と両親の部屋を訪れました。
母は相変わらずの様子。基本的には妻に会うのも孫に会うのも楽しみにしてくれています。

でも父の方は。
これはコロナ禍~自分の衰えが顕著になっていくにしたがって、これは僕も何となく気持ちがわかるようになってきたのですが、息子である僕にはいろいろ助けてほしい部分を表現してくる一方、妻や孫にはあまり会いたがらないのです。

それは当初はコロナもあるしお互い移した移されたというトラブル回避のための遠慮だと思っていたのですが、だんだんそうではなくて「衰えた自分や妻を晒したくない」というのが本音のようです。
そんなこと気にせず、ありのままの、なんとか生きようとしている姿を見せてくれるだけで十分だと思うのですが、歳をとるって色々考えるもんなんだなと、複雑な思いになりました。

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京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

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