#851 mission047 母の一泊、父の一歩。親の“はじめて”に寄り添った日【介護振り返りnote】

僕の息子が3歳のとき、はじめて保育園に行けた日の帰り、出迎えたお母さん(僕の妻)は泣いていました。ずっとそばで育てていた子が、半日とはいえ親と離れて過ごせた。
それに近い感情を、サ高住で初めての1泊を終えた朝に部屋で会った母に覚えました。この日の記憶もたぶん一生忘れないと思います。2024年2月15日。

前日に無事に母が入居でき、残るは父です。
母が動けたことで、最低限の務めはできた感があった僕ですが、とはいえ、このままずるずる父だけが実家に残っても、それで京都を離れるのも不安は不安。
父は、思ったよりもスムーズに母が入居してしまったので少々面食らったようで、それはそれで寂しいし、母に会うという意味でも、自分も動くことを決意してくれたようでした。
前日はだらだらと行きたくない病が出ていた父も、「明日は何時に出る?」「何を持っていけばいい?」と少しは前のめりでした。

朝は、9時くらいにサ高住に着くように、支度をして8時過ぎに出ました。
いざ行くとなれば、母に比べて荷物は整理されていて少なく、足腰が弱っているので車への乗り降りのサポートに気を使ったくらいで、あとはスムーズでした。
実家のある東山から下京区の建物までは、「西へ向かう」感じになるのですが、父を乗せてのプチドライブは久しぶり。
逆に小学生のころ、父が運転する車に乗せられて、仕事の得意先だという「向日市」「長岡天神」「洛西ニュータウン」に連れて行ってもらって、スーパーやおもちゃ屋さんで遊んだことを思い出し「こんなことあったなぁ」と懐かしい会話もできました。

脚がもうほとんど上がらずすり足で歩くスローな歩行なので、施設に着いて、ヘルパーさんやスタッフの方いろいろお声がけいただき、父の方もなんとか入居できた?ような感じでした。
一日ぶりとはいえ、母とも対面できたし、昼食は食堂で二人並んで食べることができました。
この日の午後には、今度は父の方の「担当者会議」が開かれ、サ高住の看護・介護の担当、責任者、そしてこの時点ではまだ介護区分は「要支援1」の父。
この下京区のエリアの「地域包括支援センター」の担当の方も面会に来てくれました。

そんなこんなで両親ともにいちおう入居。
新しい生活が始まりました。
僕の方は、父の一泊後の様子だけ見て東京に戻ろうと思い、当初の予定を1日延長。
そうすると、泊まる実家にはいよいよ僕一人。それはそれは感慨深い一日になりました。

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京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

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