#850 mission046 母の引っ越し、父の延期──2月14日に見えた家族のかたち【介護振り返りnote】
父の引っ越しは1日延期にしました。体調がすぐれないということでサ高住の皆さんには伝え、自分は次の日まで京都にいるのでいったん翌日予定にして、ひとまず2月14日は母の引っ越しに集中したいということになりました。
朝9時ごろには、カーシェアで手配した車を家の前に付けて、荷物を積み込み、荷物のほとんどは、前日までに僕が梱包したダンボールと、前夜に母の部屋で箱詰めしたパジャマや日用品など必要最小限のもの。
僕の中でも、ひとまず環境を変えてしまうことが重要で、結果ダメだったら戻ってくるかも、必要なものが出てくれば買い足しするか、実家に取りに戻ればよいと思っていました。

前日の夜も自分で書いた「14日に引っ越し」のメモを片手に、僕の部屋を30分ごとくらいに尋ねてきていました。「こんなメモあるんやけど、明日引っ越し?まだ大丈夫やで」「まぁ一回動いてみようや」こんな会話を何度繰り返したことか。
母を乗せて、出発。
父とはいったんお別れです。(約束通り翌日に父が動いてくれればそれでよしです)
10時くらいにはサ高住に着きました。
最低限の挨拶をして、荷物を運び(この段階では母は要介護1でしたが、普段の寝具は布団を和室に敷いていたので、ベッドは手配せず、実家から布団セットを車に積んで持ってきました)。
食堂でご飯が出ます。
12時に昼食、18時に夕食です。
この日は、お昼はバタバタだったので二人で外食で済ませ、18時の夕食からお世話になることにしました。
午後一番で、ケアマネージャーさんらが集まっての「担当者会議」でその後のケアの計画などが話合われました。
消耗品の買い足しや実家に荷物を取りに帰ることが一度あって、夕飯前に再び母のもとを訪れました。
すると不思議なことが起こったのです。
「あぁ、そこがトイレ、もう何回か使ったよ。ゆっくりしていき。」
その日の朝に入った部屋なのに、もう数日は暮らしているかのようなコミュニケーションでした。環境適応能力の高さというか、認知症のいい面が出たというのか。
本来は父が引っ越してきて食べるはずだった夕飯が1食分あるというので、僕も母と一緒に食堂でいただきました。
この日はビーフシチューでした。
その時、介護の方に「妻も心配してるんで記念に一枚」と撮ってもらった母とのツーショット写真は今でも宝物です。
認知症の母が初めて来た部屋で一晩過ごし、朝起きてみたら「ここどこ?」ってパニックにならないか、初日くらい家族が一緒に寝泊まりしたりするのか、とかいろいろ心配していましたが、そんなこともないようでした。
夕飯後に僕は引き上げ実家へ。
その日のことを父に報告、「どうせだめですぐに帰ってくるだろう」と思っていたであろう父には、母の順応が少し複雑だったようです。
そして、いよいよ世靴は父の引っ越しです。
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