#849 mission045 父の本音と母の一歩【介護振り返りnote】
2024年2月13日。この日は、結果的には、一人っ子である僕と、両親と、生まれ育った東山区の実家で過ごした3人での最後の一夜になりました。
それを感じてか別の思惑があったのか、夕食を終えると、この頃にはすぐに2階の自分の部屋に行って寝てしまう日々だった父が、グラスビールを時折お茶に変えながら、1階リビングで僕の夕飯後にも付き合って居てくれていました。
何の思い出を語るわけでもないけれど、時間と空間を少しでも長く共有できたことは、僕の脳裏にも刻み込まれました。

この頃には何となく、数日前から母の意向を確認するたびに「引っ越し中止や」と言っていた父の、裏の思いが理解できるようになっていました。本当は、引っ越しをしたくない、いや、めんどくさい動きをとることを嫌がっていたのは、母ではなく父だったのです。だから、お母さんが引っ越しの話を聞いてない、まだ動かないと言い出したことを内心ほっとして、僕に「中止にしてくれ」連絡をしてくれていたのだと思います。
そんな微妙な心の推測も、今回のサ高住の紹介をしてくれた例の「お助けマン」さんには相談していましたが「お母さんもお父さんも不安でいっぱいだと思いますが、どんな方でも、環境が変わって引っ越しが済んでしまえば、今よりずっと楽になられますよ」と言ってくれていました。
父の思いも組み、逃げ場をなくすため、、という言い方は厳しいですが、当初予定の順番からは入れ替えて、翌14日の引っ越しは、午前中に母、午後に父の予定に変更していました。
母が先に動いてしまった方が、父にとっても決意しやすいだろうと思ったのです。
そして、引っ越し当日。
朝6時ごろ、僕の部屋を父が訪ねてきました。
「ちょっとしんどいからな、わし、やめとくわ、、昨日言っとけばよかったんやけど、今日のキャンセルできるやろ?」
なんとなく予期してましたが、このタイミングで、、という感じでしたが、これはもう仕方ない。
「お母さん先に連れてっていいか?お父さんは一日ずらしてでも、また明日の予定にいったん変更しておくわ」
「おぅ」
今回の京都予定は、もともと引っ越し予定日の次の日まで、僕はスケジュールブロックしていました。そして東京から京都に移動する際、せめてもの成果として、父母片方だけでも引っ越ししきってしまいたい、というのがあったので、最低限自分に課した任務を遂行するためにも(笑)父の引っ越し延期は受け入れ、この日は母の引っ越しに集中させることにしました。
引っ越し日には、施設の方やケアマネージャーなど、その後の受け入れの計画を立てる担当者会議も複数名予定してもらっていたのですが、父の分はキャンセル、いったん翌日に延期にさせてもらいました。
そして、前の日から自分で書いたメモを見ながら、「明日引っ越しって、そんなん初めて聞いたわ、、」と何度も僕に尋ねつつ、それでも息子を信じて一晩過ごしてくれた母の荷物を最低限まとめて、「何日か泊まってみて合わなかったら考えたらいいし戻ってきたらいいから」というような話をして母と車で、サ高住に向かったのでした。
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