限界が見えてきた老老介護と母の買い物癖、父の不可解な言葉に戸惑う日々#837 介護振り返りnote033
2023年9月、秋の気配が漂う頃、僕の遠距離介護もいよいよ限界が近づいてきたことを感じていました。高齢の両親による“老老介護”には、もはや無理が出始めていたのです。
特に気がかりだったのは、母の過剰な買い物癖です。帰省中に回数を記録してみると、昼過ぎから夜にかけて、なんと1日4〜5回も近所のスーパーへ足を運んでいました。
買ってくるのはいつも同じようなものばかり。キムチ、かにかま、さばの塩焼き、グラタン、そして以前から大量に買っていたトマトとレタス。これらを冷蔵庫にぎゅうぎゅう詰め込み、冷蔵と冷凍の区別もつかなくなっている様子です。
なぜこれほど同じものを買うのかと尋ねると、「お父さんが食べるから」との返答。しかし父に確認すると、最近はあまり食欲もなく、キムチもグラタンも食べていないとのこと。結局、ほとんどが冷蔵庫に溜まり、腐って処分せざるを得ない状態になっています。
この地域のゴミ収集日は、可燃ごみが火曜と金曜、容器プラが木曜。帰省のたびに、冷蔵庫を整理し、捨てる作業をするのが僕の役割になってしまいました。冷蔵品なのに凍らせてしまったレトルト食品、溶けて変質した冷凍野菜など、心苦しい気持ちを抱えながら、次々と処分していきます。
それでも母は、「掃除してくれて悪いなぁ」と言いながら、数時間後にはまた買い物へ出かけていくのです。玄関の引き戸が開く音が聞こえるたびに、ちょっとしたトラウマのような感覚に陥ることもありました。
ゴミ出しを終えると「今回の任務完了」と自分に言い聞かせますが、この生活がいつまで続くのか不安が募ります。金銭的にも無駄が多く感じられますが、クレジットカードを持っているわけでもなく、高額な買い物には至っていないことだけが、せめてもの救いです。

そんな中、父がある日こんなことを言い出しました。
「夜中に寝てたら、ふすまに漫画みたいな死神が見えたんや。写真撮ったろう思たら、逃げよった」
幻覚でしょうか。父はこの時点で認知症の兆候は特に見られず、お酒を飲むと人格が変わることはありましたが、基本的にはしっかりしていたので、意外な発言でした。
さらに話を聞いていくと、母の買い物との食い違いも見えてきました。父が「○○を買ってきて」と頼んでも、母は忘れてしまうことが多く、自分では足が悪くて買い物に行けず、仕方なくその辺にあるカップラーメンを食べているというのです。食事も不規則で不安定になっていました。
母の記憶力の低下や買い物依存のような行動、父の突然の幻覚のような発言……老老介護の現場で、徐々にバランスが崩れていく家庭の姿を、身をもって感じるようになってきました。

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