#138「キャンパスは琵琶湖。テキストは人間。」滋賀県立大学時代の思い出

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先日出張で一時戻った京都駅で、ふと目に留まった大学の案内資料を思わず手に取り持ち帰りました。

キャンパスは琵琶湖。テキストは人間。
キャッチコピーは25年前と変わらず。滋賀県立大学。母校です。

第2のふるさと滋賀県彦根市

京都出身の僕の、「第2のふるさと」は滋賀県彦根のまちです。
19歳~22歳の3年間、このまちで一人暮らししました。
(1回生の1年間は、京都の実家から通いました)

彦根城ひこにゃんで有名な歴史あるまちです。
この滋賀県立大学と、お隣、滋賀大学等があるため、学生の街でもあります。

滋賀県立大学は、前身の県立短大から一新して開学したのが1995年。
なので、1997年入学の僕は3期生。

結果論でしたが、新しい大学で、自分たちが歴史を作れる!っていうのも入学の大きなモチベーションでした、たしか。
3期生なので、入学したときは4回生っていう先輩がいませんでした。

・澄んだ青い空と空気
・琵琶湖からときおり吹く強い風
・車社会で、コスパ高くどこへでも行ける

っていうのが、今も心に残る「滋賀・彦根」の印象であり思い出で、将来子育ても落ち着いたらもう一度住みたいまちと考えると、真っ先にここが思い浮かぶくらい、いい思い出のあるところでした。

滋賀県立大学3期生として学んだ4年間

CO2排出削減、京都議定書の真っただ中であった90年代後半にできた大学で、当時としては珍しい「環境科学部」という学部で、僕は建築デザインを学んでいました。

学友の、建築・設計をバリバリ目指していた連中と比較するとゆるーい感じだったとは思います 笑

でも工学部にあるいわゆる建築学科とは違い、環境問題や都市計画なども含めて建物・デザインを学べる専攻で、もちろんその後設計事務所やデザイン事務所に就職していった仲間もいますが、行政自治体・メーカー・建材屋・工務店など、幅広い就職先で多くの人が活躍しています。

僕が選んだ(ご縁あって就職できた)のは不動産業界でしたが、それはそれで(生涯一企業という考えはそもそもなかった)良い経験値が積めましたし、意味のある就職であり時間でした。

大学時代の思い出の一番は、、

そんな大学時代の思い出は、自分の中では語り草にしている、自分の得意なところの本質を感じ取ることができた卒業研究発表日のある出来事でした。

その日は4回生、最後の半年をかけてまとめてきた卒業研究の学内発表の日
僕は、滋賀県内、大津市の「街並み・中心市街地活性化」という都市・まちづくりの視点での研究をまとめていました。

この本題がTOPIXなのではなくて、発表・プレゼンに関してその日早朝にある事件が w
その日に向けては学生恒例の(笑)大詰めで、多くの人が徹夜に近い状態で研究室にこもって仕上げをしていたことを記憶してます。
その中では僕は早めに仕上げられていたので比較的落ち着いてたのですが、当時の発表データの記憶媒体が「MOディスク」。これが、ある操作で保存データが消えてしまったのです!!

いくつか復旧を試みましたがダメで、「どうしよう~」と。
でも慌ててたのは先生やまわりだったのです。発表順を変えたり、改めて日を設けてプレゼンを設定するなどいろいろ考えてくれていたようなのですが、僕は意外と冷静で、これからの「時間」を考えていました。結果、

OHPフィルムでの発表にするので予定通りの時間で進めさせてください

と申し入れて、それからの1時間半で10数枚の発表データのフィルムへの転記を行って、スケジュール通り、プレゼンをこなしました。
最中、担当の先生から言われた、
キミ、もう少し焦りなさい!
という言葉が、とっても今でも記憶と心に残っています(笑)

もちろん焦ってないわけではなく自分の中ではかなり窮地だったのですが、何を考えていたかというと、残り時間・どの方法が最良か・フィルムへの印刷1枚の所要時間の3点で、これを組み合わせて、
〇枚なら間に合う、こういう動きを自分がとればいけそう
という自分の中でのプログラムでした。

その時に、今も日常生活や仕事でとても活きている、「時間の捉え方と使い方」が、たぶん人と比べて上手く・正確にできる特性を自分は持ってるんだなぁ、というのを感覚で覚えたのだと思います。

ちなみに研究の発表「内容」についてはごくごく平凡な、特に特筆すべき中身ではなかったと思います。
が、このコトが起こってからの行動が自分の中ではファインプレーで、今も活きる自分の中での大きな体験になっています。

大学卒業後、辛いときに帰る場所

大学を卒業してからもう20年以上経ちましたが、

・社会人になりたての辛い時期
・仕事が上手くいかなかったりしたら
・恋愛の悩みがあるとき

何かにつけて滋賀・彦根のまちに立ち寄っては、あの頃のことを思い返したりしていました。

思い出の湖岸道路

県道25号線、559号線。僕たちは「湖岸道路」と呼んでいて、実家のある京都へ、学生時代の帰省の際などに走っていた道です。

まとめ~合わせて読みたい記事

今から思えば、大学に「行きたかった」のかというと当時そうでもなく、おそらく一昔前の「大学に行ってこれを学ぶんだ!」という高い志があったわけでもない。
周りのみんなも行くから、なんとなく大学に行くもの、、みたいな流れに乗っていただけの学生だったように思います。

義務教育でもない中で、そんな大学ライフを送らせてもらった両親には、とっても感謝です。

先に記した体験など、結果としてすごくたくさんのコトを学べましたし体感できた。
そして何よりも滋賀県彦根という「まち」に出会うことができた。

今、受験シーズンも真っただ中で、大学進学に関して強い志がある方もいれば、もちろんなんとなく進んでいってる方もいらっしゃると思います。
そこにも個人差はあって当然なので、それはそれとして、進んだ先で時間を無駄にせず、何かにつけ一生懸命過ごしていけば、何がその後の人生の役に立つか、糧になるかはわからないものですね。

そんなことを思いながら、2022年の「大学案内」を見ていました。

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この記事を書いた人
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京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

2023年12月11日

Posted by m3firm